川口英俊の晴耕雨読ブログ

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第1章・3

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第1章・3

第1章 無常

3 諸のつくられた事物は実に無常である。生じ滅びる性質のものである。それらは生じては滅びるからである。それらの静まるのが、安楽である。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

涅槃経にある「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」であります。諸行無常偈・雪山偈とも称されています。まさに仏教の真髄を端的に記す一説と言えます。仏教における膨大な仏典・お経・偈がある中でも、特にこの偈だけでも覚えて、真なる理解を目指すことが大切となって参ります。

もちろん、この偈における諸行無常は仏教の真理・四法印(諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静)の一つであります。

川口英俊の晴耕雨読ブログ・涅槃経・第十三・雪山童子より
http://hidetoshi.blog105.fc2.com/blog-entry-7.html

仏教において、輪廻転生の苦より解脱し、涅槃へと至るためにも「諸行無常」の理解はまずもって第一であり重要であると考えます。

諸行無常
是生滅法
生滅滅巳
寂滅為楽

涅槃経・第十三・雪山童子・参照
http://bouzu893.hp.infoseek.co.jp/setsuwa/setsuwa001.html

 昔、雪山(ヒマラヤ)にひとりの苦行外道がいた。彼は雪山童子と呼ばれた求道者で、衆生利益のために、自分を犠牲にして顧みず、種々の苦行を修めていた。

 しかし、帝釈天(たいしゃくてん)は、そんな雪山童子の法を求める態度に疑いを持っていた。悟りを開こうとする者は多いが、ほとんどの求道者は、わずかな困難に出会うと、たちどころに退転してしまう。それは、ちょうど、水に映った月が、水の動くままに揺らぐようである。多くの者は、鎧や杖で身を固め、物々しいいでたちで、賊の討伐に向かうけれど、いよいよ敵陣に臨むと、恐怖に駆られて退却する。同様に、悟りを開こうと固い決意をした人も、生死の魔軍に出会えば、求道の心を失う。雪山童子の苦行は本物なのだろうか。

 車に車輪がふたつあれば、運搬の用に立つ。鳥に双翼があれば、空を飛べる。同様に、修行者も、戒を保つだけでなく、正真の智慧がなければ、悟りに到ることはない。はたして、雪山童子が、修行を完成できるだけの人物であるかどうか、試してみよう。

 そう思った帝釈天は、見るも恐ろしい羅刹(らせつ=鬼)に姿を変えると、天上から雪山へ下ってきた。そして、雪山童子の間近までやって来て、立ち止まると、過去世の仏が説いた偈文(げもん=詩句)の半分を、声高らかに唱えた。

諸行無常 (しょぎょうはむじょうなり)
是生滅法 (これしょうめつのほうなり)

 羅刹は、偈文の半分を唱え終わると、四方を見回した。これを聞いた雪山童子は、大いに喜んだ。それは、まるで、深山で伴とはぐれた旅人が、恐怖とともに闇夜を彷徨ったあげくに、再び伴と出会ったような思いだった。喉の渇いた人が、冷水に出会ったようでもあり、長く病床にある人が、名医に逢ったようでもあり、海に溺れた人が、船に出会ったようでもあった。雪山童子は、辺りを見渡したが、恐ろしい羅刹以外は、誰もいなかった。

 よもやとは思ったが、童子は、羅刹に訊ねた。
「大士よ、あなたはどこで、過去の仏の説いた偈文を聞いたのでしょう。その偈文は、過去現在未来の三世に渡る仏の教え、真実の道です。世間の人間でさえ、ほとんど、知ることのない教えです。本当に、どこで、その偈文を聞いたのですか。」
「出家者よ、そんなことを聞いても無駄だ。私は、もう、幾日も食べ物が手に入らないので、飢えと乾きで心が乱れて、でたらめを言ったのだ。」
「大士よ、もし、残りの偈文を説いてくれるならば、私は、終生、あなたの弟子になります。先ほどの偈文だけでは、字句も不完全だし、義も尽きてはいません。どうか、残りの偈文を教えてください。」
「出家者よ、私は、飢え、疲れているから、説くことができないのだ。」
「大士よ、あなたは何を食べるのですか。」
「私の食べ物は、人肉だ。飲み物は、人の生き血だ。」
「大士よ、話は分かりました。残りの偈文を聞くことができたら、私は、この肉体をあなたに差し上げましょう。たとえ天寿を全うしても、どうせ、私の死体は、獣か鳥に食われるだけです。しかも、食われたからといって、何の報いがあるわけでもありません。それならば、悟りの道を求めるために、この身を捨てる方が良いでしょう。」
「では何か。わずかな偈文のために、肉体を捨てようと言うのか。しかし、そうは言っても、誰も信じないだろう。」
「あなたは無智ですね。瓦の器を捨てて、七宝を得ることができるなら、誰でも喜んで瓦を捨てるでしょう。」
「お前が本当にその身を捨てるというなら、残りの偈文を説いてやろう」。

 雪山童子は、羅刹の言葉を聞いて、身につけていた鹿皮を脱いで、羅刹のために法座を設け、
「大士よ、どうかここにお座り下さい。」
と言うと、合掌してひざまづいて、一心に残りの偈文を求めた。
羅刹は、厳かに残りの偈を説いた。

 生滅滅已 (しょうめつめっしおわりて)
 寂滅為楽 (じゃくめつをらくとなす)

 こう説いてから、羅刹は、約束通り、雪山童子の肉体を求めた。
「出家者よ、お前は、すでに、偈のすべてを聞いた。願いはかなえられたのだから、約束通り、私に肉体を施してくれ。」

 雪山童子は、覚悟の上のことだから、肉体を捨てることに何のためらいもなかった。しかし、このまま死んでしまっては、他の人々のためにはならない。そこで、辺りの石や、壁、道や樹木に、手当たり次第に、この偈文を書き留めてから、死後に身体の露出することを懼れて、衣服を整えると、高い木に登った。そして、羅刹との約束を守って、地上へと身を投げた。

 ところが、雪山童子の身体が、まだ地上に落ちないうちに、羅刹は帝釈天の姿に還り、空中で童子の身体を受けとめると、地上に置いた。
 時に、帝釈天を初め、諸天の人々は足下にひれ伏して、童子にこう言った。

「あなた様は、無量の衆生を利益して、無明の闇の中に、大法の炬(たいまつ)を燃やそうとする以外には、何も求めようとしない。あなた様こそは、真の菩薩です。そんなあなた様を苦しめたのも、ただただ、仏の大法を愛すればこそです。どうか私の懺悔をお聞き届け下さいまして、未来に悟りを得られた暁には、お救い下さいますようお願い致します。」

 半偈のために身を捨てた苦行外道の雪山童子は、後の世の、お釈迦様である。

 また、この物語にちなんで、「諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽」を、雪山偈と呼び慣わしている。

・・参照ここまで。
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