川口英俊の晴耕雨読ブログ

「菩提心論」(平成24年・お盆施餓鬼法要配布用・施本)

平成24年・お盆施餓鬼法要配布用・施本

「菩提心論」

川口英俊・著

「仏教において、何が最も大切ですか?」

と聞かれることがあります。四聖諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)、四法印(諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静)、「四無量心」(慈・悲・喜・捨)、あるいは、智慧・方便、空・縁起・・・と様々な概念が仏教には控えており、確かにどれも重要な内容となっております。

その中でも特に仏・法・僧の三宝に帰依し、本格的に仏道に入る上で最も大切となるのは、「菩提心」(ぼだいしん)であると考えております。

「菩提心」とは、「菩提=悟り」で、悟りを求める心、悟りを目指す心であります。仏教の一番の目的は、仏・如来と同様に完全なる円満な悟りを得ることでありますので、そのための決意を行うことが、まず大切なことになります。

何事も目的・目標を掲げた上で、私たちは物事を進めていけるようになるわけですが、仏教の道を進むには、「菩提心」が何よりも重要となります。この「菩提心」を欠いていては、先に挙げたような仏教の重要単語の内容をいくら理解できようが、仏道を歩む上において、無意義・無益なこととなってしまいかねないため、非常に注意が必要であります。

では、その「菩提心」の内容ですが、例えば、私一人、迷い苦しみのこの世界から逃れるために悟りを目指すということではいけないものとなります。私一人の悟りを得るためというのでは、ただ自分さえよければ良いのだという、自己満足・独善的なものであり、真に仏教の考え方とはかけ離れたものとなってしまいかねません。もちろん、独覚・縁覚と言われるように、自分一人だけの悟りを目指して精進し、悟りを得ることは可能でありますが、その悟りの次元は、仏・如来が成就する円満なる完全な悟りとは大きな隔たりが生じてしまうものであり、結局は、更に真なる悟りを目指して精進を続けていかなければならないこととなります。

また、この私たちの世界は「縁起」にて成り立っているものであり、多くの無数のモノ・コトとの関係性の中で、互いに様々に依り合い、支え合い、助け合い、分かち合いにて存在することができています。この関係性を無視し、自分さえ良ければという考え方では、実は私たちそれぞれの存在も成り立ち得ないものなのであります。

この縁起の世界を鑑みたとき、いまだ無数のものたちが、この輪廻(りんね)世界にて迷い苦しんでいると知り、全ての迷い苦しんでいるものたちを救いたいと願い、そのためにこそ、私は悟りを目指して頑張りたいのだと思うことが、まず大切なこととなります。

ですので、正確な「菩提心」の意味は、「迷い苦しみにある一切衆生を悟りへと導くためにこそ、私は悟りを目指したい、目指すのだ」と決意することであります。

では、もう少しその「菩提心」を起こすための内容についてチベット仏教における例から考えてみたいと思います。チベット仏教においては、「菩提心」を起こすための基本的な考え方について簡単に七つにまとめて示されています。(七つの因果に関する教誡・因果の七秘訣)

 一、知母
 二、念思・念恩
 三、報恩
 四、慈心
 五、大悲心
 六、増上意楽(ぞうじょういぎょう)
 七、菩提心

となります。

まず一の「知母」とは、私は、これまでもこの迷い苦しみの世界を数限りなく生まれ変わりを繰り返しては輪廻し続けてきた中で、今世における一切衆生たちも、我が幾過去世かにおいては、我が母であったのかもしれないと思い知ることであります。

つまりは、例えば、今そこの道ばたに歩いている「アリ」であっても、目の前を今飛んでいる「蚊」であっても、もしかすると、前世においての私の母であったのかもしれないと思いなさいということであります。もちろん、たまたま今日すれ違った見ず知らずの人であっても、もしかしたら前世においては私の母であったかもしれないということでもあります。

チベットでは、土を耕す際にも、土中の虫たち、例えば「ミミズ」でさえ傷つけないように、慎重に気配りして土を耕すほどであります。「そのミミズは、かつてのあなたの前世では、あなたの母であったのかもしれませんよ」と言い合い、また、子供たちにも言い伝えて、生き物を大切にすること、むやみに生き物を害さないことを小さな頃から学んでいくのであります。

このようにして、一切全ての衆生たちは、私のかつての母であったのかもしれないと、皆平等に、今世における母と同様に、思い知ることがまずは大切となります。

もちろん、例え、我が身を害してくる者、怒り憎み嫌うべき者であったとしても、もしかすると、過去世では私の母であったのかもしれないと思うべきでもあるということであり、普通であれば考えられないことかもしれませんが、例えば、長年にわたりチベットを侵略し、著しく人権侵害・弾圧・圧政を繰り返し、いまだに多くのチベット人を殺し害している中国当局の者たちにでさえも、ダライ・ラマ十四世法王猊下は、慈悲の心から、その者たちであっても救ってあげたいのだと述べられているように、あらゆる一切の衆生を分け隔て無く、平等に救いたいと思うことが「菩提心」において重要なこととなります。

このように全ての者たちを等しくにまずは我が母であったのかもしれないと思うことが、菩提心を起こす上での前提となります。

もしも、仮に母とは思えなくても、今の自身における大切な者と母を置き換えて考えてみても良いでしょう。

次に二の「念思・念恩」となりますが、全ての一切衆生をかつては私の母であったのかもしれないと思えた次に、その母たちは、いつも優しく愛情を掛けて、慈しんで私を育んできてくれたことを思い念じ、その母たちの恩を深く知ることであります。このように今生きていくことができているのは、母親のお腹の中に生を受けて以来、ずっと母は子を心配し、気配りし、自分を犠牲にしながら、時には自分よりも大切な存在として、幼児から大人になってまでも、大事に育ててきてくれたからであります。その恩をしっかりと感じなければならないということであります。

そして、三の「報恩」で、その私を育んでくれたかつての母たちの恩に報いたい気持ちを起こすのであります。更に、その恩を思う時、四の「慈心」として、そのかつての母たちに対して親愛なる慈しみの心を抱くようにします。

慈しみの心を生じて、更に、五の「大悲心」を起こします。「悲」とは、憐れみ・哀れみの情のことで、今の我が母、また、かつての我が母たち、つまり一切衆生たちは、いまだ煩悩と無明(根本的な無知)・悪業によって、この輪廻世界で、例えば、人間であれば、四苦八苦(生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)する迷い苦しみの世界の中にあることを思うとき、大いなる憐れみ・哀れみの情を起こすということであります。

そして、六の「増上意楽」として、五の「大悲心」から、何とかこの輪廻世界でいまだに迷い苦しんでいる、全ての一切衆生たちを救いたいという気持ちを起こし、そのように一切衆生たちを救わんがためにこそ、私は悟りを求めたいのだと決意することが、七の「菩提心」となるわけであります。一切衆生たちを利益(りやく)して真なる幸福である涅槃へと導くために悟りを求めることを強く決意するのであります。

以上のように、「知母」を基に「菩提心」へと導く考えがチベット仏教の基本となるのでありますが、「知母」を更に「縁起」に置き換えてみて、「菩提心」へと導く考えも十分に可能ではないかと拙私見ながら思う次第であります。

つまり、「縁起」という様々な関係性の世界の中においてこそ、実は、「悟り」を目指して精進努力を進めることも可能であるのだということです。私が今このように存在できているのは、まさに様々な縁に依って成り立っているのであり、例えば、生存環境、宇宙・地球や自然の営みや、自身の肉体や精神活動、衣・食・住・薬を得ることなども、一切衆生たちに依るところの関係性を完全に無視することはできないのであります。もちろん、現在のみならず、過去も含めて、未来にわたっても無数の支えに依って成り立っている自分の存在を思うとき、その無数の支えたちへの有り難さに感謝する恩を思うはずであります。そして、無数の支えがあってこそ、悟りを目指して今こそまさにこのようにして精進できる機会を得れたわけでもあるのです。その恩に報いたいという気持ちが生じれば、この無数の関係性の中にある一切衆生たちを利益(りやく)したいという菩提心を起こすこともできるのではないだろうかと考えております。

さて、更に詳しく「菩提心」の内容を考えていきましょう。

まずこれまでのように、「一切衆生たちを利益(りやく)して真なる幸福である涅槃へと導くために悟りを求めよう」と決意することを、菩提心における「発願心(ほつがんしん)」あるいは「誓願心」と言います。

しかし、これだけでは完全な「菩提心」とは言えません。例えば、「立派な医者になろう」と決意して誓願しただけで実際に医者になれるかといえば、それはもちろん無理なことです。決意・誓願後に、しかるべくに学業努力して、大学の医学部に入り、学習・実習を経て、国家試験を受け、そして国家試験に合格しない限りは医者になることはできないのであります。もちろん、それで一人前の医者となれるわけではなく、そこから様々な研修を経て、実地の治療の経験を積み、技術・専門性を高め、更に患者の信頼も厚くなり、そしてようやくに立派な医者と言える立場となることができるのであります。この間の精進努力を抜きにしては、当然に「立派な医者」など成り立たないこととなります。

目的・目標を掲げて決意、誓願することは、物事の始めにおいてまず大切なことですが、そこから実際にどのように具体的に実現・現実化させていくのかどうかも重要なことになります。そのため、「菩提心」においても「発願心」の次に実際に修行に入って精進努力を進めていこうと歩み出す「発趣心」(ほっしゅしん)、あるいは「進趣心」(しんしゅしん)が必要になるのであります。

このように「発願心」(誓願心)と「発趣心」(進趣心)の両方をまずは調えることとなります。この両方のことを「世俗の菩提心」と言い、「世俗の菩提心」により、ようやくに本格的な仏道に入ることができ、実際の修行が始まるのであります。

「発趣心」・「進趣心」の菩提心により、仏・如来と同等の悟りを目指して、いよいよ本格的に仏教を学び、修行を完成させていかなければならないのですが、その修行の階梯に関しての内容は、拙著の施本・「仏教・空の理解から学ぶ」の「第七章・仏教の実践」において少しまとめさせて頂いておりますので、後に引用致しておきたいと思います。

さて、その前に、「菩提心」には、実はもう一つ重要な内容があり、世俗の菩提心だけでは、円満なる悟りを成就することはできないのであります。ある一定修行が進んだ段階で、更に、次の菩提心を起こさなければならないこととなります。それが「勝義(しょうぎ)の菩提心」であります。

「世俗」と「勝義」の区分は非常に難しくありますが、簡単には、「世俗」とは、普通世間一般の日常生活においての立場のことで、「勝義」とは仏教における最高の悟りの立場のことを表すわけですが、例えば、「勝義」における真理とは、世間・世俗における言語表現ではもはや表すことができない仏教の真理のことで、その最高真理とは、「空性」(あらゆる全ての存在は、自性・実体として成り立っているものではないこと)について、もはや言葉・言説・戯論も超えて、直感認識(現量)によって理解した段階とされています。

つまり、その「空性の現量了解(げんりょうりょうげ)」を得た段階から、更に修行を進めて悟りを目指し精進努力を積み重ねていくというのが、「勝義の菩提心」となるわけであります。

「勝義」における真理のことを「勝義諦」と言いますが、例えば、空性を現量了解し、「勝義諦」を了解したとしても、もはや人間の言語活動能力を超えてしまっているため、仏教の真理を世俗・世間において示すことは到底不可能なことになってしまいます。しかし、それではいかにして一切衆生の迷い・苦しみ、煩悩・無明・悪業を排撃させて、悟り・涅槃へと導くかということですが、まずはできうる限りにおいて言語表現など、世俗の手法・方法を用いて、仏教の真理を伝えていかなければならないため、いかにして今度は「勝義諦」の立場から「世俗諦」を用いて、一切衆生を悟りへと導いていくかという課題にも取り組んでいかなければならないこととなります。

世俗諦と勝義諦については、またの機会にて詳しく再考致したいと思います。

さて、本論の最後として、普段、皆さんがご先祖様を御供養なさる際に、追善や功徳、回向という言葉を耳にされることが多いと思います。

追善供養・功徳回向の本来的意義とはどのようなものであるのかについては、往生院だより第74号(平成24年7月号)のコラムにて少し述べさせて頂いております。以下、そのコラムの内容を抜粋しておきます。

「・・追善供養・功徳回向は、仏教の慈悲・利他心から発したる私たちの善なる行い・徳の行いの力によって、亡くなられた方が、無事に悟りの世界、仏国土・浄土へといざなわれるように、また、諸仏・諸菩薩から仏説をしっかりと授かって、修行の精進が進めれるようにと、その善徳行が亡くなられた方とも分かち合えて、その善徳行による善業の力が亡くなられた方にも及び、迷い苦しみの原因となる悪業(悪い行いの集まり・カルマ)、無明(根本的な無知)・煩悩が排撃されて、しっかりと悟りの境地へと向かうことができていけれるようにとして実践するものであります。
 このように善徳行による善業の力を分かち合うことができるようにというのは、親族など特定の亡き方、ご先祖様だけではなくて、迷い苦しみにある一切衆生に、その善業の力が、廻り向かって及びますようにということが、「回向、あるいは廻向」の意味となります。
 特に重要となるのは、仏教の慈悲・利他心による善徳行の対象は、「迷い苦しみにある一切衆生」ということであります。
 いわゆる「菩提心」というもので、迷い苦しみにある一切衆生を救わんがためにこそ、悟りを得たいのだとして、仏道修行を始める前提となる決意のことであり、この「菩提心」を発した上で、慈悲・利他行、善徳行を行うことが私たちには大切なこととなります。
 様々なお経を唱えた後によく読む回向文には、「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを」と、普回向がある次第であります。・・」・・抜粋ここまで。

以上のように「菩提心」を伴っての「慈悲・利他行、善徳行」が仏教の供養の実践の一つともなります。

私たちは、普通に善行や徳行と言えば、慈善事業や社会貢献事業、あるいは、ボランティアや奉仕活動を思い浮かべるかもしれません。

しかし、普通一般社会・国際社会における慈善事業や社会貢献事業、非営利活動、あるいは、ボランティアや奉仕活動などは、仏教的な見地からは、所詮、狭い範囲の世界の中、狭い範囲の関係性の中における(例えば、人類・人間の)価値観による自己都合・自己満足・独り善がり的な域を完全には抜け出るようなものではなく、もちろん、悪いことではなく、普通に奨励されるべきことでもありますが、その善徳行の対象を、好き嫌い、敵味方関係なく、または人間だけにでもなく、あるいは、人間・動物だけにでもなく、この地球にある一切衆生だけにでもなく、もっと広く、遍く宇宙にある一切衆生、いや無数にある宇宙の全ての一切衆生、更に、三界(欲界・色界・無色界)・三千大千世界の全ての一切衆生たちを分け隔てることなく、平等に救いたいとの菩提心から、実際に悟りを得ようと修行を進めていく中において、真なる善・徳行を積み重ね、その善業を一切衆生に廻り向かって及びますようとして調えていくことが望まれるのであります。

ですから、慈善事業や社会貢献事業、非営利活動、あるいは、ボランティアや奉仕活動などは、慈悲・利他行の一つとして誠に大切でありますが、その志の真なる深いところでは、やがて遍く一切の衆生たちを平等に、この迷い苦しみの輪廻から救いたいがために私はこの慈悲・利他行の修行を進めていくのだとして行うこととなれば、実にすばらしいことになるのではないだろうかと考えております。

 拙生もここ10年ほどにわたり、いくつもの慈善事業や社会貢献事業、非営利活動、ボランティアや奉仕活動を平行して進めて参りました。現在は以前に比べるとかなり活動を縮小させて頂いておりますが、振り返りますと、これまで述べさせて頂いて参りました「菩提心」を基とした実践とはなっていなかったと反省を致しております。それがために、色々と悩み苦しむことが多々あったのではないだろうかと今は思っております。これからは、真なる「菩提心」を常に心に留めつつ、それらの活動・事業を行っていくことができましたらと考えております。

 もちろん、それらの慈悲・利他行だけに留まることなく、普段の日常生活全般における身(身体)・口(言葉)・意(心)による全ての行いを菩提心に基づくものとすることが、仏教の善・徳行の真なる実践であり、そのように調えていくことが重要となります。しっかりと精進努力して参りたいものであります。

さて、次に仏教の修行における具体的実践のまとめについて挙げさせて頂いておきます。

・・・

施本「仏教・空の理解から学ぶ」の「第七章・仏教の実践」から以下に仏道修行の実践についての箇所を抜粋・・

施本「仏教・空の理解から学ぶ」
第七章・仏教の実践
http://www.hide.vc/engi7.htm

※ネット公開では、URLだけを表示・・

・・

参照文献 「七つの因果に関する教誡・因果の七秘訣」に関して、「ダライ・ラマの仏教哲学講義」(1996年・大東出版社)

著者プロフィール
川口英俊(かわぐちえいしゅん)
昭和51年 東大阪生まれ
岩瀧山往生院六萬寺 副住職
URL:http://www.oujyouin.com
他、参照 URL:http://www.hide.vc

「菩提心論」(非売品)
平成24年8月・お盆施餓鬼法要配布用

発行日 2012年7月28日 初版第1刷
著 者 川口英俊
発行者 川口英俊
発行所 岩瀧山往生院六萬寺
所在地 〒579-8061 大阪府東大阪市六万寺町1丁目22番36号
U R L  http://www.oujyouin.com
印刷・製本 ニッシン印刷株式会社

不許複製・無断転載を禁ず
cKawaguchi Hidetoshi 2012
Printed and Bounded in Japan

・・以下参照までに・・

コラム「追善供養・功徳回向の考え方について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52091128.html

『 #勝義方便メモ まとめNo.4 再考「公害企業主呪殺祈祷僧団」について』
http://togetter.com/li/320014

「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」~チベット問題・焼身抗議を考える~ 平成24年度・お彼岸施餓鬼法要・配布用・施本
http://t.co/PwVvYWck

『空と縁起と』~仏教の存在論~  平成23年度・秋季彼岸施餓鬼・配布用資料
http://t.co/wHL7TR0

『東日本大震災に思う』 平成23年度・お盆施餓鬼法要・配布用資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/28c0cc5975d7b67227e085443ad9053f
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