川口英俊の晴耕雨読ブログ

ダンマパダ・法句経・第25章・367・368

ダンマパダ・法句経・第25章・367・368

第25章 修行僧

367 名称とかたちについて「わがもの」という思いが全く存在しないで、何ものも無いからとて憂えることの無い人、---かれこそ<修行僧>とよばれる。

368 仏の教えを喜び、慈しみに住する修行僧は、動く形成作用の静まった、安楽な、静けさの境地に到達するであろう。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

この世における現象において、我々が名称と形態を与えているものも含めて、全てについて、「私のもの、私の所有」という思いが全く存在せず、また何ものも所有できないからと言って憂えることの無い者・・・かれこそ修行僧と呼ばれる。

仏教の学びを喜び、慈しみを実践する修行僧は、動く形成作用(無常に対しての憂い・苦しみ)の静まった、安楽な、静けさの境地(涅槃寂静)に到達するであろう。
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