川口英俊の晴耕雨読ブログ

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・7

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・7

さて、今回も前回から引き続きまして、「サムイェーの宗論」につきまして考えて参りたいと存じます。

前回にも述べさせて頂きましたように「サムイェーの宗論」における論点と致しましては、「無分別知」(般若の智慧)へと至るための方法論の相違を挙げさせて頂きました。

では、「無分別知」ということについてはどうであるのかと言いますと、松本氏の「禅思想の批判的研究・大蔵出版 」の第一章「禅思想の意義」を参考と致しますと、「無分別知」そのものについては、両者共に認めているという点では一致しているということが理解できます。

実は、この「無分別知」というものが一体どういうものとして成り立っているのかということにおいては、非常に重要な問題が控えているところであります。

「無分別知」というのは、「あらゆるモノ・コトは、分別が無いというありよう」、つまり、「分かれていない、別れていない」ということを「知」、「知る」ということになります。

では、本当に「無分別知」ということはあり得るのでしょうか。ここは非常にある意味で無理のあるところで、私たちが、思考・思慮・思惟する限りにおいては、必ず何らかを分別しなければならないため、当然に思考・思慮・思惟を否定しなければならなくなるという不都合が生じざるを得ないところであります。

そのため、「無分別知」というものが有るのだとして執着してしまうと、当然に「不思・不観」・「無念・無想」という「思考の停止」を説くに至るのは仕方のない面もありまして、実は、摩訶衍論師と同様に、「無分別知」へと至るためには、カマラシーラ論師も最終的には「無念」・「無思惟」を認めているというところがあります。

つまり、カマラシーラ論師の「無分別知」と摩訶衍論師の「無分別知」では何が異なるのかと言えば、基本的には何らとして変わらないわけであります。それを前者の「無分別知」は、「正しい無分別知」で、後者は「誤った無分別知」と言うのもおかしなことであり、至るところが同じとなれば、特に段階を設けなくても、摩訶衍論師の「不思・不観」・「無念・無想」という「思考の停止」による修行方法でも特に問題はないこととなってしまいます。

また、カマラシーラ論師は、「無分別知」へと至るための段階として、「正しい分別知」・「正しい個別観察」というものの必要性を説いていますが、では、何が基準として、どのようなことが「正しい分別知」・「正しい個別観察」であるのかということも実は問題として出てくるのであります。もちろん、このことを考える上での基準の一つとしては、「空性の知」・「空性の洞察」というものが考えられていますが、「空性の知・空性の洞察」というのは、「あらゆるモノ・コトは、空である」・「諸法は無自性である」というものとなるものの、それで、「無分別知」に至れるということもやや疑問が残るところであります。

つまり、「諸法は、空・無自性である」という分別知が、「無分別知」というのも無理があり、また、結局は、「無分別知」を悟るということは、「諸法は、空・無自性である」ということを悟るということとなっても、それならば、その他の一切の仏説は全く必要のないものとなってしまうという不都合も生じてしまいかねません。

更には、「諸法は、空・無自性・無分別である」→「その主張も、空・無自性・無分別である」→「戯論寂滅・言語道断・不可説」→「不思・不観」・「無念・無想」→「思考の停止」→「無分別知」→「諸法は、空・無自性・無分別である」→「その主張も、空・無自性・無分別である」→・・・と循環論法に陥ってしまうことにもなってしまいかねません。そこで、最高の真理・最高の真実は、「無分別知」であるとして、この循環論法を停止させることになるわけです。

しかし、それは「無分別知」なるものを「最高の真理、最高の真実」として実体視して捉えようとしてしまうところへと容易に繋がってゆくことにもなってしまいます。

つまりは、「無分別なるもの」・「分かれていない、別れていないもの」・「あらゆるモノ・コトは、分別が無いというありようであるということ」というのは、単一の実在、最高の実在として捉えようとする一元論的な見方が働いてしまうこととなってしまいかねません。

それは、「無分別知」・「諸法無自性」というものによって、あらゆる問題を解決してしまうかのような錯覚へと陥ってゆき、仏教・仏説、更には仏教において最も重要な教説である「縁起の理法」さえもが無力化されかねない懸念が生じてしまう弊害が出てきてしまうことになるのであります。

このような弊害は中観思想内においても見受けられたことで、「空」として本来はその実体視を否定されるべきである「無分別知」が、「最高の真理、最高の真実」として肯定的に扱われ出してしまってくることによって、中観思想が自己矛盾を抱えて自己崩壊を招き、実在・実体化論へ傾斜してゆくことになってしまうのであります。

瑜伽行中観自立論証派であったカマラシーラ論師においても、「無分別知」を認めて、肯定的に実体・実在視して扱ってしまっているという限り、如来蔵思想の影響は少ないながらも受けてしまっていると言えるため、摩訶衍論師とカマラシーラ論師の両者共にその論争の内容の根底を鑑みると、如来蔵思想の影響が、濃いか薄いかという濃淡の違いでしかなく、真なる意味で、「如来蔵思想 VS 中観思想」と言えるのかどうかということは、実はかなり疑問符が付いてしまうのであります。

次回も引き続きまして、この問題を扱って参りたいと存じます。

※現在進めております如来蔵思想(仏性思想)関連の考察は、あくまでも中観思想(帰謬論証派)の立場をいったん脇によけておいてのものでありまして、その点はあしからずにご了承の程を宜しくお願い申し上げます。

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「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6

今回は、「サムイェーの宗論」につきまして、少し考えて参りたいと存じます。「サムイェーの宗論」とは、チベット・サムイェー寺において展開された中国の禅師・摩訶衍論師とインドの中観思想家・カマラシーラ論師との論争のことであります。

松本氏の論著におきましては、「サムイェーの宗論」への言及が随所に見受けられますように、如来蔵思想の問題を考える上で、「サムイェーの宗論」は、重要な内容を持っており、中観思想と如来蔵思想の激突として、チベット仏教史上における一大宗教論争として重大な事件でありました。

摩訶衍論師は、中国禅宗の北宗派(神秀禅師を開祖とする派)の流れを汲む系統と位置づけられていますが、北宗派を激しく非難した神会禅師(南宗派・六祖慧能禅師の弟子)の弟子であったともされ、北宗派の段階的に悟りを進める「漸悟禅」を主張する立場であったのか、それとも、南宗派の悟りへの段階を認めずに悟りへの境地を目指す「頓悟禅」を主張する立場であったのか、定かではないところがありますが、「サムイェーの宗論」においては、「頓悟禅」の立場を主張したとされています。

一方のカマラシーラ論師は、インド・ナーランダ僧院の高僧・シャーンタラクシタ論師の弟子であり、思想的立場は、「瑜伽行中観自立論証派」と位置づけられています。「瑜伽行中観自立論証派」は、唯識思想と中観思想とが思想的に統合して発展した派で、空の思想を基底に置きつつ、(一応、仮として認める)心(識)の作用を、悟りへと向けていかにして調えていくべきであるのかについて考えていく立場であります。

「サムイェーの宗論」の大きな論点としましては、松本氏の「禅思想の批判的研究・大蔵出版 」の第一章「禅思想の意義」を参考と致しますと、「無分別知」(般若の智慧)ということをめぐり、摩訶衍論師は、「不思不観」・「無念無想」による「無分別知」への即座の到達を主張し、カマラシーラ論師は、「正しい分別知」・「正しい個別観察」によって、段階的に「無分別知」への到達を目指すべきであると主張したということが挙げられるのではないかと存じます。

少しまとめますと、摩訶衍論師の主張と致しましては、「不思不観」・「無念無想」→「無分別知」という流れとなり、カマラシーラ論師の主張と致しましては、「正しい分別知」・「正しい個別観察」→「無分別知」という流れで、更に、「無分別知」→「空性の洞察」が必要であるとして、段階的な知の階梯を主張します。

結果的には、摩訶衍論師の主張は退けられ、以後、チベット仏教においては、中観思想派の流れが優位となっていくわけですが、重要なことは、「サムイェーの宗論」において完全に如来蔵思想の問題が払拭したというわけではなく、厳密に中観思想と如来蔵思想の激突と言えたのかどうかということについても疑問の余地が残ってしまったところがあります。

次回も引き続きまして、「サムイェーの宗論」の意義に関しまして考えて参りたいと存じます。

※現在進めております如来蔵思想(仏性思想)関連の考察は、あくまでも中観思想(帰謬論証派)の立場をいったん脇によけておいてのものでありまして、その点はあしからずにご了承の程を宜しくお願い申し上げます。

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仏教の学びの参考論著に、「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版を追加しました。


「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/

集中的に再読していく論著集

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾
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