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川口英俊の晴耕雨読ブログ

苦しみの素因

「シャボン玉はほしいと思いますか?」と聞いても、普通、誰も「そんなものはほしくは無い」と答える、というよりかは、「ほしいと思ってもすぐに持てなくなるものがシャボン玉じゃないか、そんなものは最初からいらないよ」と答える。

そう、シャボン玉は、あっという間に壊れる泡沫、すぐに形が無くなるもの、一瞬しか形が持たないもの、とみんなちゃんと理解している。であるから、もちろん壊れても形が消えても別に悲しくも苦しくも何とも思わない。

しかし、一方で、己の身体はどうであろうか・・みんないつまでもほしくてたまらない・・少しでも身体が変化して老いゆき、病となって壊れゆくと、死が近づくと、嘆き、悲しみ、苦しむ・・

所詮はシャボン玉も身体も、諸行無常なる中においては、泡沫で脆く崩れ消え去って滅してゆくものに変わりは無い、ではどうして一方では苦しみが生じないのに、一方では苦しみが生じてしまうのか・・

苦しみの原因がそこに隠れています・・それは、「執着」にあります。

諸行無常なる中、己の身体のみならず、あらゆる全てのモノ・現象がシャボン玉と同じだと理解でき、別に己の身体が崩れて壊れて死に近づいても、あらゆる全てのモノ・現象におけることも、当然に単なる生滅の変化だと悟れば、シャボン玉と同じように「ほしい」と思うことも無く、しがみつこうと「執着」することも無くなり、そうすると嘆き、悲しみ、苦しむことも無くなるというわけであります・・

・・平成19年度お盆施餓鬼法要後の法話の中で・・

私たちの苦しみの素因は執着から生じるわけであり、その執着を離す、無くすことで、苦しみから解脱できるようになるわけであります。

執着をもう少し分かりやすく私なりに述べると、価値・所有という誤った妄想を持ってしまうことでもあります。

価値についてもっと簡単に述べると、「特別」という考えとも言えます。私の特別の人・モノ・地位・名誉・財産・時代・・などなど。または主観的優劣・正誤・善悪も「価値」と言えます。

諸行無常、諸法無我なる真理に目覚めれば、当然に無執着、無価値、無所有に至るわけであります。しかし、無明に覆われてしまっている私たちが、そこへと至ることは相当に難しいものであるのも現実・・

無執着・無価値・無所有・・・

この三つをしっかりと理解すれば、心が安楽となり、貪・瞋・痴が無くなり、しかるべくに少欲知足となり、世の争い事、犯罪、戦争、資源の貪り、環境破壊なども無くなり、欲界も安楽になるわけであります。

この世においては、もともと何もしがみつけるものは無い、もともと何も価値は無い、もともと何も所有していない・・という諸行無常なる生滅の理を真に理解して、心の状態を禅定に保つ精進努力が大切となります。

更には、苦しみの生じる原因となる執着・価値・所有という妄想などの集まりである煩悩を完全に滅して、再び迷いの生存に戻ってこないように、輪廻転生の苦しみから解脱できるように涅槃へ向けて頑張らなければなりません。

今の己の身体が滅んでも、人類・生命が絶滅しても、地球・太陽が爆発して宇宙の塵となっても、この宇宙がやがて滅しても、繰り返す輪廻転生から完全に逃れない限りは、次の身体、人類・生命(欲界・六道、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)、地球・太陽、宇宙、色界・物質世界、に留まらずに無色界(欲界・色界を超越した精神的世界)にも輪廻転生し続けることとなり、その劫たるや何千兆年×千万にも亘る場合もあります・・滅しても生が起こるのは煩悩に素因があり、煩悩を完全に滅さない限りは、この生滅変化を繰り返す諸行無常なる一切皆苦からは全く逃れることはできないのであります。

川口 英俊 拝 平成19年8月22日

関連考察

「涅槃寂静」について
http://oujyouin.com/tayori1909.html
往生院だよりコラム 平成19年9月 彼岸号より
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