川口英俊の晴耕雨読ブログ

施本・「仏教・空の理解から学ぶ」第七章 仏教の実践

施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
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一、はじめに
二、仏教・基本法理の理解
三、般若思想の理解
四、般若心経の理解
五、中観思想の理解
六、唯識思想の理解
七、仏教の実践
八、縁起・空の理解からの実践
九、仏教的生き方
十、最後に

第七章 仏教の実践

 さて、前章までは般若思想・中観思想・唯識思想と、各思想の理論について、ある程度考察して参りました。

 次に、仏道の実践について考えて参りたいと思います。いわゆる大乗仏教における最高の智慧の完成(般若波羅蜜)へと至る実践についてであります。

 般若思想における般若波羅蜜の智慧とは、空・縁起を理解した上で、無分別・戯論寂滅、諸法実相・真如を観て、自利利他・慈悲の実践のための最高の智慧のことであり、それは菩薩(大乗仏教の修行者)の修行徳目でもあります。

 では、智慧の完成へと向け、どのように実践を進めていくべきであるのかは、仏教史上においても当然に最大の重要関心事であり、私たちはしっかりとその学びと実践を進めていかなければなりません。

 ここでは大乗仏教において、まとめられている実践につきまして項目別に少し取り上げて参りたいと思います。

慈悲心……仏法を学び始める時に最も重要となるのが、まず「慈悲心」であります。

 お釈迦様が悟りを開かれ、涅槃に至った喜びの中において、このまま更に深い禅定に入り、もはや再び輪廻を繰り返さない完全な解脱の境地へと向かおうとされた時、「梵(ぼん)天(てん)勧(かん)請(じょう)」により生じた「苦しみの中にいるあらゆる衆生を救済するために、この涅槃の境地をあまねくに説いていかなければならない」という意志のことであります。

 自らのみならず、あらゆる衆生も絶え間のない苦しみ(輪廻)の中にいることを知り、何としても智慧を開発し、自利のみならず、一切衆生の救済を目的とする「利他」をも目指して、仏道の精進を始めるために大切になるのが、この「慈悲心」であります。

世俗菩提心……慈悲の心を起こした者が、慈悲の実践へ向けて最高の智慧を得ようとする意志を持つことが「世俗菩提心」であります。

実践行……「方便」と「般若の智」があり、「方便」とは、主に智慧波羅蜜以外の五波羅蜜、布施・持戒・忍辱・精進・禅定(更に、方便・願・力を加えることもある)の各実践のことを示し、「般若の智」とは、智慧波羅蜜・智波羅蜜の実践のことで、特に聞・思・修の三慧のことであり、「聞」は仏法における師・先生からの講座や問答を通じて、その教えをよく聞き学ぶこと、「思」とは、教典・注釈書から仏法の論理を学び、よく思惟して理解すること、「修」とは、「聞」・「思」より、仏法の深遠なる真実義について実際に修習し、智慧を開発していくことであります。

 また、次に三慧と平行して行う瞑想修行として「止」と「観」があり、「止」は、心一境性、つまり、精神を集中させて、心を落ち着け、ある一定の対象に心を統一して止めること、三(ざん)昧(まい)に入ることであります。

 次に、「観」ですが、真理についての観察のことで、この際の真理とは、人無我(人空)・法無我(法空)を言います。簡単に述べますと、虚妄分別、主客二分を離れ、自ら(主体)にも実体が無いこと、様々に知られるもの(客体)にも、実体が無いことを妙観察するということであります。
 
 更に修行の階梯については、中観思想・唯識思想の発展と共に調えられていきました。ここでは、少しだけ簡単にまとめておければと思います。
 
 五道

資(し)糧(りょう)道(どう)……無始なる過去より、無明と煩悩によって業を積み重ねては、生死を繰り返す輪廻の中で、苦しみの流転を経てきた今世において、今まさに仏法に出会える縁を得て、苦しみの輪廻からの出離を強く願うに至り、また、あらゆる一切の衆生も自らと同様に輪廻の苦しみの中にあると、慈悲の心を起こして、一切の衆生の救済へと向かうために最高の智慧を得ようと「発(世俗)菩提心」して、三宝(仏・法・僧)へ深く帰依し、菩薩の修行(十波羅蜜)を行っていくための準備を進めていく段階であります。特には聞・思・修の三慧をしっかり進めなければなりません。
 
加(け)行(ぎょう)道(どう)……資糧道にて菩薩の修行を進めていく準備を終えた者は、いよいよその本格的な実践へと入り、聞・思・修の三慧に精進する中で、人無我(人空)・法無我(法空)の真理を見極めながら、十波羅蜜を更に進めていく段階であります。

見(けん)道(どう)……五道の中でも最も重要とされるのが、この見道であります。加行道・資糧道を経た者において、真理なる「空性」を言葉・言説・戯論を超えて、直感認識(現(げん)量(りょう))によって理解した段階であり、この段階より、「凡夫」の域を脱し、「聖者」の域へと入り、もはや煩悩が新たに生じることがなくなり、無始以来の前世より積み重ねてきた業の根本である煩悩についても本格的に断滅させていくことに取り組み始めることとなります。

 見道に入った聖者は「勝義菩提心」を生じ、いっそう「止と観」に精進し、いよいよこの見道からは「十地」にも取り組んでいくことになります。「十地」についてはあとで詳しく述べさせて頂きます。 

修(しゅ)道(どう)……見道において「止と観」を繰り返し、完全に「空性」を現量した聖者が、煩悩障のみならず、所知障についても断滅させていく段階であります。煩悩障と所知障については後に詳しく説明させて頂きます。

無(む)学(がく)道(どう)(究(く)竟(ぎょう)道(どう))……煩悩障と所知障を完全に断滅し終えて、無分別の智・不二の智、唯識思想における成所作智・妙観察智・平等性智・大円鏡智・法界体性智など全ての智慧の完成をみた段階であります。もはや学ぶものは無くなったので、「無学」とされています。無学道の聖者は、十波羅蜜・十地の菩薩行を完成させ、勝義と世俗を直感的に了解する「無(む)上(じょう)正(しょう)等(とう)覚(がく)」を現証し、一切の智慧を完成し終え、慈悲・自利利他を円満に究竟する者のことであります。

 十波羅蜜について

布(ふ)施(せ)波(は)羅(ら)蜜(みつ)

 貪る心・執着(我執・愛執)の心・所有の心を無くしていくために、財物を施す財(ざい)施(せ)、悪感情・煩悩を静めて安心を与える無畏施(むいせ)、仏法の真理を説いて修行を実践する法(ほう)施(せ)を行なっていくこと。

 もう少し空の理解から詳しく述べますと、布施行においては、三輪清浄・三輪空寂が大切となります。三輪とは、「施者・受者・施物」の三つのことで、それぞれが清浄でなければならないということであります。

 施者においては、やってあげたというような驕りや傲慢な心、見返りを求めて期待するような心を離れていること、受者においては、頂いた行為、頂いたモノに対しての執着心をもたないこと、また、施されたと自分を卑下したり、更に施されたいと媚びへつらったりしないこと、また、欲望、特に物欲・財欲にとらわれてしまう心を離れていること、施物においては、それらが悪行(窃盗や詐欺など)によって得たような不浄なるものではないことが大切となります。
 
持(じ)戒(かい)波(は)羅(ら)蜜(みつ)

 戒律をしっかりと守ること。特に心・口・意の三業を清浄に保つために定められた戒律を遵守することで、五戒律として、不(ふ)殺(せっ)生(しょう)戒 (かい)(生き物をみだりに殺さないこと)・不(ふ)偸(ちゅう)盗戒(とうかい)(他人の物を盗まないこと)・不(ふ)邪(じゃ)淫(いん)戒(かい) (よこしまな男女関係・不倫をしないこと)・不(ふ)妄(もう)語(ご)戒(かい)(虚偽を語らないこと)・不(ふ)飲(おん)酒(じゅ)戒(かい)(お酒を飲まないこと)があり、更には、もう五つを加えて十戒律とする場合もあります。不(ふ)説(せつ)四(し)衆(しゅう)過(か)罪(ざい)(他人の過失や罪を言いふらしたりしないこと)・不(ふ)自(じ)賛(さん)毀(き)他(た)戒(かい)(自画自賛し、他人を見下したりしないこと)・不(ふ)慳 (けん)貪(どん)戒(かい)(自分の利を貪ったり、物惜しみをしないこと)・不(ふ)瞋(しん)恚(に)戒(かい)(激しく怒らないこと)・不(ふ)謗 (ぼう)三(さん)宝(ぽう)戒(かい)(仏法僧の三宝を誹謗中傷しないこと)。

忍(にん)辱(にく)波(は)羅(ら)蜜(みつ)

瞋(しん)恚(に)(激しい怒り)の心を出さないように、常に心を寛容にして平穏に保つために、仏道を歩む中、例えどんなに嫌でつらく苦しいことがあっても耐え忍ぶこと。

精(しょう)進(じん)波(は)羅(ら)蜜(みつ)

 なまけおこたる心を出さず、涅槃へ向けて一生懸命に修行に取り組むこと。

禅(ぜん)定(じょう)波(は)羅(ら)蜜(みつ)

 坐禅や瞑想修行にて精神統一・精神安定を図ること。禅定の基本としましては、止(心を統一して止めること・三昧(ざんまい)とも言う)と観〔人無我(人空)・法無我(法空)を妙観察すること〕があります。

智(ち)慧(え)波(は)羅(ら)蜜(みつ)
 
 智慧を開発していくこと。智慧は、真理を悟ったものにもたらされる心の働きのこと。真理の諸法実相から全く揺らぐことがなくなった心の働き。智慧は、般 (はん)若(にゃ)とも表されます。無分別の智・不二の智、唯識思想における成所作智・妙観察智・平等性智・大円鏡智・法界体性智などの智慧の完成を目指すこと。

 以上の六波羅蜜から派生して、方便・願・力・智の四つも説かれ、十波羅蜜となります。

方(ほう)便(べん)波(は)羅(ら)蜜(みつ)

 六波羅蜜の実践による善根を、一切衆生に対して相応に方便を用いて廻向し、一切衆生と共に無上仏果菩提を求めて菩薩行に邁進するという廻向方便善巧と、更には、方便を用いて一切衆生を救済していくという抜済方便善巧があります。

願(がん)波(は)羅(ら)蜜(みつ)

 一切衆生を救済し、彼岸・涅槃に至らしめんと、菩薩行に邁進し無上仏果菩提完成のための誓願を立てること。

力(りき)波(は)羅(ら)蜜(みつ)

 六波羅蜜の実践に邁進する力、仏教に対する偽説、異説を見破り打ち破っていくための力を養っていくこと。
 
智波羅(ちはら)蜜(みつ)

 諸法実相・真如の真理を了知する智慧を完成させて無上仏果菩提へと至ろうとしていくこと。 


十地

歓(かん)喜地(ぎじ)……布施波羅蜜に精進し、見道に入った修行者が、人無我(人空)・法無我(法空)の真理を理解し、「勝義菩提心」を起こし、歓喜して修行に邁進することを誓願する位。

離垢地(りくじ)……持戒波羅蜜に精進し、戒律を遵守し、悪を行わずに、心・口・意の三業を清浄にして善を行ないながら、心の垢を離していく位。

発光(ほっこう)地(じ)……忍辱波羅蜜に精進し、特に勝義真実に対峙する厳しさに耐え忍ぶ「諦察法忍」によって、智慧を開発していく位。智慧の光が発し始めてくる。

焔(えん)慧地(ねじ)……精進波羅蜜に精進し、善行・智慧の光を熾(し)盛(じょう)(勢い盛ん)に照らして、四方の衆生に対して功徳し、回向していく位。

難(なん)勝(しょう)地(じ)……禅定波羅蜜に精進し、勝義諦と世俗諦における真理の理解を進め、方便と般若の智を併せて実践していく位。特に方便を用いて利他行を自在に展開していく。

現前(げんぜん)地(ち)……智慧波羅蜜に精進し、最高の智慧(般若波羅蜜)を現前に観ていく位。もはや仏道の歩みが後退することがない。

遠(おん)行(ぎょう)地(じ)……方便波羅蜜に精進し、世俗を離れて勝義の世界に入り、勝義から慈悲の実践、自利利他の実践に方便を自在に用いながら行っていく位。

不(ふ)動(どう)地(じ)……願波羅蜜に精進し、もはや煩悩が生じることが完全になくなり、菩薩乗として一切衆生の救済としての慈悲を実践していく位。

善(ぜん)慧地(えじ)……力波羅蜜に精進し、菩薩乗として智慧の働きが円満となり、慈悲・利他の実践として、方便も用いながら、どのようないかなる者に対しても仏法の真理を説法していく位。

法雲(ほううん)地(じ)……智波羅蜜に精進し、最高の智慧(般若波羅蜜)が完成し、あたかも雲が恵みの雨を分け隔てなくあまねく降らすが如くに、一切のものたちへと、平等に仏法の真理を説法し、また、慈悲・自利利他の実践が円満に究竟する位。

 さて、ここまで簡単に五道、十波羅蜜、十地について解説させて頂きました。

 最高の智慧の境地、無上仏果菩提の境地へと至り、慈悲・自利利他行を円満に究竟するためにも、各々においてしっかりと学び、実践を進めることが大切となります。精進努力して参りましょう。

・・第七章ここまで。

〔本文、不許複製・禁無断転載〕

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