川口英俊の晴耕雨読ブログ

施本・「仏教・空の理解から学ぶ」第四章 般若心経の理解

施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
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一、はじめに
二、仏教・基本法理の理解
三、般若思想の理解
四、般若心経の理解
五、中観思想の理解
六、唯識思想の理解
七、仏教の実践
八、縁起・空の理解からの実践
九、仏教的生き方
十、最後に

第四章 般若心経の理解

 般若心経の漢文読み下し文と現代語訳については、「仏教思想6・空・上」(仏教思想研究会編)・中村元氏「第一章・空の意義・B本論(一)理論的思考」より抜粋しております。

 漢文読み下し文

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩が深き般若波羅蜜多を行ぜし時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。舎利子よ、色は空に異ならず。空は色に異ならず。色はすなわちこれ空、空はすなわちこれ色なり。受想行識もまたまたかくのごとし。舎利子よ、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢づかず、浄からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。得る所なきを以ての故に。菩提薩たは、般若波羅蜜多に依るが故に。心にけい礙なし。けい礙なきが故に、恐怖あることなく、一切の顛倒夢想を遠離して涅槃を究竟す。三世諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。

 現代語訳
 
全知者である覚った人に礼したてまつる。

求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見とおしたのであった。シャーリプトラよ、この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。これと同じように、感覚も、表象も、意志も、識別知も、すべて実体がないのである。シャーリプトラよ、この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。それゆえに、シャーリプトラよ、実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、識別知もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。(さとりもなければ)迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ)迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。それ故に、得るということがないから、諸の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、智慧の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめを覚り得られた。」

 般若心経は、広く読まれており、また写経・納経されるなど、誰もが一番に馴染み深いお経でありましょう。
 もちろん、その真義を知ることは、実に難解であり、容易なことではありません。特に般若心経では、否定辞がたくさん出てきており、一見すれば虚無主義に陥りかねないものであると思います。

 しかし、般若思想について、たったこれだけの文字数にて端的に著されているという点では、やはり秀逸なお経と言えるのではないだろうかと考えます。

 「五蘊皆空」(一切皆空)から始まる「五蘊(色受想行識)」、「十二処(六根・眼耳鼻舌身意と六境・色声香味触法)」の実体の否定、第三章で触れました「色即是空 空即是色」という即非的表現、「不生不滅・不垢不浄・不増不減」という縁起関係が示す「不二・無分別」の表現、そして、「三界」・「十二縁起」(般若心経では無明と老死だけを挙げて各縁起の実体をも否定)、「智慧」・「悟り」すらも実体は無く、更にはお釈迦様が説かれた重要な「四聖諦」の教説も実体が無いと説明して、あらゆるとらわれ、しがみつき、こだわり、執着を無くした涅槃の境地を目指して、般若波羅蜜を完成させなければならない、としているのであります。

 もちろん、最終的には、言葉・言説・戯論を超えたところを示そうとしているのであり、このことを理解できない限りは、般若心経をどうしてもただの否定辞の羅列として虚無主義的に扱うことになってしまうので、やはり注意が必要であると考えます。

 ここでは各単語・語句についての詳しい説明は、これまでの施本の内容においても扱っておりますので省かせて頂きますが、分からないものがありましたら、また各自においてお調べ頂ければと存じます。

 また、般若心経の最後における「故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。これ無上咒なり。これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に。般若波羅蜜多の咒を説く。すなわち咒を説いて曰わく、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若波羅蜜多心経。」につきましては、真言(マントラ)的要素、呪術的要素が強くあり、この部分の解釈は大きく分かれることがあります。

 「それゆえに人は知るべきである。-智慧の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実である、と。その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァハー(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。)ここに、智慧の完成の心が終わった。」

 この部分の私的解釈は今のところ控えておきたいと存じます。

・・第四章ここまで。

〔本文、不許複製・禁無断転載〕

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