川口英俊の晴耕雨読ブログ

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五、一枚の紙から・②而二不二・下

施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」




一、はじめに
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・上
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・中
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・下
三、一枚の紙から・①而二不二《ににふに》
四、唯識論について・上
四、唯識論について・中・1
四、唯識論について・中・2
四、唯識論について・下・1
四、唯識論について・下・2
五、一枚の紙から・②而二不二《ににふに》・上
六、一枚の半紙から・補足余談
七、悩み・苦しみを超えて
八、最後に

五、一枚の紙から・②而二不二《ににふに》・下

 このように、皆さんに用意して頂いた紙で、書いた文字のモノも、書いたその文字、その書いた文字の紙、その紙について表だ裏だと虚妄分別してしまったことも、更には書いた己でさえも、ただ「縁起空」で、実は「無い」のであります。あらゆるものは、因縁生起という他に依存して、他によって生起しているということで、このことを依他起性と言うわけであります。

 また、禅語に「万法帰一《まんぽうきいつ》」という言葉がありますが、あらゆる全ては「縁起空」ただそれのみに帰するのだと考えることができます。

 そのことのあるがままを理解するためにも、「我・主体・主観」など自我に執着している自我意識、我執を無くして、自他分別を無くし、更に虚妄分別を無くして、この世のあらゆるものを平等に、実相のそのままを観じ察するようにしていかなければならないのであります。

 さて、これまで考察して参りましたように、虚妄分別したものには、実は分別は無い、ただあらゆるものは、空(縁起空)・真如のみということを円成実性と言うわけであります。

 簡単に述べると、この世におけることで分別は無い、できないということを「而二不二」と言うわけですが、唯識論では、「不即不離」「不一不異」と表されたり、般若心経では「不生不滅」・「不垢不浄」・「不増不減」と言う表現で出てきていますし、同様に「煩悩即菩提《ぼだい》」、「生死即涅槃」とも表現することもあります。また、このことは、鈴木大拙氏・「即非の論理」、更には西田幾多郎氏・「絶対矛盾的自己同一」にも通じるところではないかと考えております。

 しかし、これらのことは理解するに際して、やはり十分なる仏法の真理についての思慮・考察、仏道修行の前提が必要になるものと考えております。

 また、これらの言葉を使って、分別の無いことを示しているつもりであっても、実はそれでさえも「無分別を分別」しているに過ぎず、本当のところはもう言葉では表現できないのであります。

 ですから「不○不×」や「○即×」という表現は、実はできない、表現していてもやむを得ずに、仕方なくそうしているだけであるというのが、正直なところであります。ではそれを、誠に不十分で僭越なことながらも、最大限にこの本で表してみると試みれば、















































 となり、白紙の紙に、どちらが表でどちらが裏ですかと聞かれても、答えられないことに近いものと考えています。

 また、このことを仏教的に述べさせて頂くとすれば、維摩経《ゆいまぎょう》に記述されている維摩居士(架空の人物とされている)と文殊菩薩様とでやりとりされた不二法門《ふにほうもん》の問答における、最後に維摩居士の回答の「一黙」、つまり黙って何も語らなかったこと、と同意であるとして便宜上、白紙の部分をやむなくにも、そう理解して下さいませ。この維摩居士の一黙は、「維摩の一黙、雷の如し」と称されています。

 維摩経は、架空の物語とされていますが、維摩居士を主人公として、お釈迦様の十大弟子たちとのやりとり、文殊菩薩様とやりとりした問答などが主に記されています。大変に興味深い内容ですので、機会がありましたら是非、専門書・解説書をお読み下さいませ。

 さて、前回の施本でも述べさせて頂いておりましたように、あとは、それぞれにおける四法印・四聖諦の真理の真なる理解、八正道、戒・定・慧の三学、八大人覚《はちだいにんがく》(少欲・知足・楽寂静・勤精進・不忘念・修禅定・修智慧・不戯論)、五根五力(信・精進・念・定・慧)、七覚支《しちかくし》(念・択法《ちゃくほう》・精進・喜・軽安・定・捨)、六波羅蜜、更には六波羅蜜に「方便(間接的な方法で智慧を開発させること)・願(仏道の成就を誓願し、実践努力すること)・智(一切を見通す智慧を得ること)・力(善行を実践する力・真偽判別力を養うこと)」の四つも加えられた「十波羅蜜」などの確かなる学び・実践によってこそ、表現できないところのことも含めて真に正覚し、智慧を開発していかなければならないものであると考えております。共に精進努力して参りましょう。

 また、この浅学非才、未熟なる者のこの内容においてでも、少しでも読者の皆さんの迷い苦しみが無くなって、心が安らかに、清らかになって頂けたとすれば、誠に幸いでございます。

・・第六章に続く・・

〔本文、不許複製・禁無断転載〕

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