川口英俊の晴耕雨読ブログ

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五、一枚の紙から・②而二不二・上

施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」




一、はじめに
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・上
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・中
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・下
三、一枚の紙から・①而二不二《ににふに》
四、唯識論について・上
四、唯識論について・中・1
四、唯識論について・中・2
四、唯識論について・下・1
四、唯識論について・下・2
五、一枚の紙から・②而二不二《ににふに》
六、一枚の半紙から・補足余談
七、悩み・苦しみを超えて
八、最後に

五、一枚の紙から・②而二不二《ににふに》・上

 さて、ここで話を一枚の紙に戻しますが、私たちがいつも分別しているものは、虚妄であり、分別は無い、つまり、「二なるものが無い」ということで、二つに分別しているものは、実は二つでは無い、つまり「而二不二」の理解に及んでくるわけでありますが、このことを「一枚の紙」で改めて考えてみたいと思います。

 まず私たちは、「我・主体・主観」によって様々に認識・判断した存在に対して「名称」を付けています。

 皆さんの目の前にあるもの、鉛筆・ペン・パソコン・テレビ・本など何でもいいでしょう、それをその紙に書いて下さい。

 では、まずは鉛筆・ペンなどと書かれた文字のモノについてでありますが、第二章でも述べさせて頂きましたように、そのものには諸行無常・諸法無我なる中で固定した実体としての「我」は無いため、そのモノは常にあるものではありません。例えば、その鉛筆・ペンが百万年後にもありますかと問うと、特殊保存していない限りは、誰もがもう無いと答えることでありましょう。もちろん無常なる中、そのモノを構成している分子・原子・中性子・素粒子は因縁生起によって生滅変化を繰り返しているため、瞬間においてさえも刻々と無くなっていってしまっています。ですから、私たちが存在に対して名称を与えているのは、あくまでも変化しているモノについて私たちが仮に与えた名称なのであります。このことを唯識論では「仮名《けみょう》」と言います。書いたそのモノは、単に仮にそう名称しているにすぎないものであるため、本当のそのモノ、存在の対象について、実は言葉・文字では表すことができないのであります。ですから、書いた文字の存在対象は「無い」のでありますが、そのことが分からずに存在対象、我があるとして執着してしまうことを「遍計所執性《へんげしょしゅうしょう》」と言うわけであります。

 次に、「表と裏」をどちらか決めて下さいと言うと、ある人は書いた文字のある方が表、文字の無い方を裏として、ある人は、その逆としても分別することでありましょう。表裏の分別が生じ、または、文字のある方、無い方という有無の分別も生じます。

 本当は表も裏もどちらがどちらとは言え無いのですが、「我・主体・主観」によって、こちらが表、こちらが裏というように、それぞれの我によって勝手な分別が生じてしまいます。

 もちろん、表と裏を我によって分別したのは、単に虚妄で、本当はどちらがどちらとは言え無い、やはりただの一枚の紙であって、「分別した二なるもの」は、「二つで無い」一枚の紙で、つまり「而二不二」なのであります。

 また、表、裏と分別したとしても、実はその中間についても、もちろん無視することはできません。例えば、皆さんの手元にあるその一枚の紙では、表でも裏でもない一ミリメートルにも満たない「厚さ」の部分があります。このように本当のところ、二項対立・二元対立は極端に分別することはできず、必ずその間もあるわけであります。白と黒では間に灰色があるように、パッといきなり対立が分かれてあるのではなくて、二項対立・二元対立は、実は対立関係にあるものではなく、ただ縁起空の連続について、ただ仮に「我」によって、そのようになってしまっているだけなのであります。

 つまり、ただ連続している縁起空があるだけなのに、ある一点に「我」と「執着」が生じてしまうと、そこを基準として囚われて虚妄分別が始まり、これが私、それがあなたに始まって、これが表、その逆が裏、これが楽、ではその逆が苦、これが正、その逆が邪というようになってしまうのであります。

 このように極端な側には立たずに、分別してしまったことでも、その中間に立ってみて、今一度、妄想・虚妄で分別したものが、実は一つのものであることに気付いていけるようにしていけば良いと思います。そうすると、二項対立・二元対立は矛盾しているものではないと分かって苦しむことも無くなるでしょう。

 ただし、最終的には、その中間でさえも「空(縁起空)」ということで、中間ですらも無いのだということも理解できるようにしていかなければならないのであります。

・・第五章・下に続く・・

〔本文、不許複製・禁無断転載〕

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