川口英俊の晴耕雨読ブログ

四、唯識論について・中・1

施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」




一、はじめに
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・上
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・中
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・下
三、一枚の紙から・①而二不二《ににふに》
四、唯識論について・上
五、一枚の紙から・②而二不二《ににふに》
六、一枚の半紙から・補足余談
七、悩み・苦しみを超えて
八、最後に

四、唯識論について・中・1

 次に、これら三つの能変によって、では、この世の存在をどのように認識しているのか、ということについては、三性《さんじょう》として説明されます。
   
三性

遍計所執性《へんげしょしゅうしょう》・・存在におけるあまねく全ての表象について、虚妄分別したものの「我」に執着してしまうこと。または執着できるものだとして、勘違いしてしまっていること。

依他起性《えたきしょう》・・この世のすべての存在が、他の何かを縁(因縁生起)として、はじめて成立しているということ。存在の「空性」(縁起空)・「無自性」のこと。

円成実性《えんじょうじっしょう》・・依他起性をそのまま依他起性として正覚して(空性(縁起空)・無自性の正覚)、遍計所執性(虚妄分別)を離れること。

 「諸法無我」の法理によって、遍計所執性においては、「我・主体・主観」によって感受した、他のものに対しての認識・判断には、当然に固定した実体としての「我」は無いので、その存在は、「無自性・無存在」として(都無《とむ》・実無)、依他起性においては、存在について、ただ「空」(縁起空)として(仮有《けう》)、このことを理解した上で、では、この世の存在の真実(実有《じつう》)は何であるのかについて、「無自性・無存在」・「空」(縁起空)が、この世の存在の真実として、そのことを「円成実性《えんじょうじっしょう》」と表しています。円成実性は「真如《しんにょ》」とも言われます。

 さて、ここで少し補足でありますが、先に挙げました薫習は、特に四薫習に分けて説明されます。

無明薫習・・無始なる過去世からの無明の薫習のこと。真如に薫習して、その薫習によって妄心が生じること。

妄心薫習・・妄心がまた無明に薫習して不了《ふりょう》(不完全)の種子を増やすことになって、妄境界(輪廻する世界)に現われ出ること。

妄境界薫習・・妄心を薫習して、妄境界(輪廻する世界)・虚妄分別の世界において、またも悪業を生み出して、煩悩を抱えて苦しむこと。

浄法薫習・・真如薫習と妄心薫習の二つがあり、真如薫習は、迷い・苦の中で、何とか逃れたいと真如を求めて発心し、仏道を実践し、涅槃を目指して精進努力を始めること。また、この場合の妄心薫習とは、真如を求める妄心が、更に真如に薫習し、無明・煩悩を滅して、涅槃へと向かうように調っていくこと。

 また更には、薫習の条件として、「所薫の四義」(薫習される所について)と「薫能の四義」(薫習の働きについて)が説明されます。

所薫の四義・・堅住性(永続的に同時存在性を保持する性質)・無記性(善でも悪でもない無記の性質)・可薫性(薫習が可能であるという性質)・能所和合性(能薫と所薫とは一体和合しているという性質)

薫能の四義・・有生滅(生滅変化を有する働き)・有勝用(善・悪についての強い方向性をもっているという働き)・有増減(薫習に増減の余力があるという働き)・能所和合転(所薫と和合して転ずるという働き)

 次に、八識と八識のほかにおける一切の存在については、「五法事理」として大きく五つに分けて説明されています。その中で、無為法以外は「依他起性」に属し、無為法は「円成実性」に属しているとされます。

心法・・心が全ての諸法・存在の中心主体であるとして、前五識・意識・未那識・阿頼耶識の八識が属する。心の中心体として「八識心王」とも言われる。

心所法・・心法による識の働き・作用のこと。遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定《ふじょう》に分けられて、そこから更に細かく心所が分けられています。

色法《しきほう》・・心法・心所法から物質的なものとして識されたもののこと。

心不相応行法《しんふそうおうぎょうほう》・・心法・心所法・色法でないもののこと。

無為法《むいほう》・・前四法の実性のこと。現象の本質ともいうべき真如のこと。

 次に、私たちがしなければならない善行為について記しておきたいと思います。

・・第四章・中・2に続く・・

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