川口英俊の晴耕雨読ブログ

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感興のことば・第30章・51・52

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第30章・51・52

第30章 楽しみ

51 村において、林において、快感や苦痛に触れられた人は、それを自分のせいにしてもならぬし、他人のせいにしてもならぬ。迷いの条件に依存して、触れられる事物が触れるのである。迷いの条件の無い人に、触れられる事物の触れることがどうしてあろうか?

52 立派な人々は、いかなるところにあっても、快楽のゆえにしゃべることが無い。楽しいことに遭っても、苦しいことに遭っても、立派な人々は動ずる色がない。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

51 村において、林において、快感や苦痛(快・不快、苦の対象)に触れられた人は、それを自分のせいにしてもならぬし、他人のせいにしてもならぬ(諸法無我、無執着・無束縛・無所有)。迷いの条件(無明、四法印・四聖諦を理解できず愚かなまま)に依存して、触れられる事物(対象)が触れ(て渇愛・執着、所有・束縛が生まれ)るのである。迷いの条件(渇愛・執着、所有・束縛)の無い人に、触れられる事物(対象)の触れることがどうしてあろうか(苦しみから解脱している)?

52 (真理を悟った)立派な人々は、いかなるところにあっても、快楽のゆえにしゃべることが無い。楽しいことに遭っても、苦しいことに遭っても(無執着・無束縛・無所有で苦・楽を超えていて)、立派な人々は動ずる色がない。
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