川口英俊の晴耕雨読ブログ

一枚の紙から・①而二不二《ににふに》

施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」




一、はじめに
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・上
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・中
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・下
三、一枚の紙から・①而二不二《ににふに》
四、唯識論について
五、一枚の紙から・②而二不二《ににふに》
六、一枚の半紙から・補足余談
七、悩み・苦しみを超えて
八、最後に

三、一枚の紙から・①而二不二《ににふに》

 「而二不二《ににふに》」とは、両部不二とも言われますが、「二つにして、二つではない(一つのもの)」という意味であります。普通に考えると逆のことを述べていますので、矛盾していて理解し難い言葉ですが、この意味につきまして、これから「一枚の紙」で説明していきたいと思います。

 まず、手元に用意して頂きました白紙の紙を、よくご覧下さい。

 では、皆さんにお聞きしますが、「どちらが表で、どちらが裏ですか」

 「・・・」

 そうです。白紙の紙では、表も裏も全く同じであり、どちらが表で、どちらが裏と決めることができないのであります。一枚の紙はたった一枚の紙でしかないのであり、当然にそれで一つなのです。

 ところが、その白紙の紙に表と裏を生み出してしまうと、なんとその一つのものに二面、両部、二つのものが現れるのであります。

 実は、このように私たちは、常に物事を両部に分けて認識・判断・理解するようにしています。いわゆる「分別《ふんべつ》の世界」の中で生きているということであります。 

 もちろん、この世において、私たちは何事にも理性・道徳・常識の分別が付かなければ、社会は大変なことになってしまいます。例えば、「これはやってよいこと、あれはやってはいけないこと」と分別していなかったとしたら、本能・感情が支配する世の中となり、無法地帯になってしまって、分別がある時と比べると、とんでもないことになるのは明白だからであります。

 社会生活を営む上では、当然に「分別」は大切で欠かせないものでありますが、これから述べていく仏教的な「分別」の考え方は、世間における分別の考えとは、全く別の次元の問題として扱います。

 ただ、世間における分別というものも、絶対的なものではなく、そういった分別にでさえも、私たちは囚われて執着してしまうと、悩み苦しむことがありますので、相当に気を付けて扱う必要はあります。

 では、仏教的な分別の話に入りますが、なぜ分別の世界が生まれるのかと言いますと、そこでまずは「我」が大きく関連しているわけであります。

 つまり、「我」とは、簡単に述べると「主体・主観」であります。そして、そこから「対象・客体・客観」が生じます。主客によって、二項対立、二元対立が色々と生じることになります。

 主体は「見るもの・知るもの」、客体は、「見られるもの・知られるもの」ですが、仏教的に述べますと、眼・耳・鼻・舌・身・意の感覚器官で感受したものを、想(表象・概念)、行(意志)、識(意識・認識)する側が主体で、感受される側、つまり対象が客体となります。「私とあなた」に始まって、「表と裏」・「有と無」・「明と暗」・「左と右」・「上と下」・「優と劣」・「男と女」・「勝と負」・「成功と失敗」・「理性と感情」・「愛と憎」・「生と死」・「楽と苦」「善と悪」・「平和と戦争」・「破壊と創造」・「○と不○(○には快・幸などの語が入る)」と多くの二項対立・二元対立を挙げることができます。

 そして、私たちは二項対立・二元対立するものを考えるとき、その対立を相反する矛盾するものとして扱い、悩み苦しみに陥ることになってしまうことが多々あります。

 このように、この世における表象を二項対立・二元対立のように、色々と分別して悩み苦しんでしまっていることを仏教的には「我」がもたらしてしまっている「虚妄分別《こもうふんべつ》」と呼んでいます。

 つまり、「無我」にも拘わらず、「虚妄分別」したものを実体ある「我」と捉えてしまい、そのために悩み煩ってしまうということであります。

 更に詳しく述べますと、「我・主体・主観」によって、感受した他のものに対しての認識・判断において、分別してこの世の表象を理解してしまい、そこに囚われて執着してしまうということであります。

 このようにして認識した存在について、仏教的な理解を進める上において、もっとも進んでいますのが、「唯識《ゆいしき》論」における「遍計所執性《へんげしょしゅうしょう》」・「依他起性《えたきしょう》」・「円成実性《えんじょうじっしょう》」の「三性」があります。ここで次に少し唯識論の私なりの解釈について簡単にまとめて記しておきたいと思います。

 もちろん、浅学非才、未熟なる理解にしか過ぎませんので、当然に間違いがあるものと思います。また説明している自分自身でさえも本当は何を書いているのか理解していないのではないかと思うところもあると考えますので、その旨、ご容赦賜りましたら幸いでございます。

 また、唯識論については、優れた専門書が多く出版されていますので、それぞれにおいて学びを進められる上で、必ずそれらからも考察、検証して頂きたいと存じます。あくまでも私の解釈は私なりに頑張っての紹介の域でしかありませんので、まずはその旨、ご了承頂きましたらと存じます。

・・第四章に続く・・

〔本文、不許複製・禁無断転載〕

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