川口英俊の晴耕雨読ブログ

施本「佛の道」・第十三章 空

施本「佛の道」・第十三章 空

 ここで空論を展開するのは若干気が引けることではありますが、少しだけでも触れておければと思っています。

 いわゆる「一切皆空」、「諸法皆空」のことでありますが、これは「諸法無我」を補完した派生的なものであると考えます。

 特に空論を教学的に体系化した龍樹《りゅうじゅ》が確立したのは、「縁起空」と呼ばれ、現象・存在は全て縁起(因縁)によって仮に設けられたものが空であるとして、二元論的に現象・存在に有があるということを前提として、その有に対しての否定における空を意味するものではなく、この場合の「空」は、本来的に否定を受ける有すらないという意味での空というものであります。

 また、縁起そのものが空であり、現象・存在において他に空でないものはなく、他に縁起でないものもないという意味での空でもあります。

 この縁起空は、諸法無我だけでなく、中道を示すものの補完でもあると考えられます。
 何ら偏りの無い、何ら差別の無い、何ら囚われの無い立場で、ただ縁起をあるがままに受け入れて認めて、そこには苦も無く、楽も無く、非苦非楽も無い、上も下も、右も左もその中間も無い、当然に我もなく、執着できるものも無く、所有できるものも無く、意味や価値などももちろん無いのであります。

 縁起空は、無自性が空であるとして、始めから我は無く、始めから執着をするものは無く、始めから何も捨てるものすら無く、始めから何も価値が無いという、完全な無我、無執着・無所有・無価値などの理解によって、煩悩・苦しみを滅するために説かれたと解するのが妥当ではないだろうかと考えています。

施本「佛の道」・各章
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