川口英俊の晴耕雨読ブログ

施本「仏教・空の理解」発行出来到着

施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm

本日に発行出来が到着致しました。既に内容についての執着は外しております。また、主にはお盆施餓鬼法要の際にお配りさせて頂くこととなりますが、随時各ご法要の際にも配布させて頂こうと考えております。

これから更に仏教の学びを進めるための文献

「大乗起信論」
 宇井伯寿・高崎直道訳注・岩波文庫
「東洋哲学覚書意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学」
 井筒俊彦著・中公文庫BIBLIO
「縁起と空―如来蔵思想批判」
 松本史朗著・大蔵出版
「本覚思想批判」
 袴谷憲昭著・大蔵出版
「大乗仏教の根本思想」
 小川一乗著・法蔵館
「チベット仏教哲学」
 松本史朗著・大蔵出版
「無常法―仏教思想研究」
 矢島羊吉著・以文社
「龍樹・親鸞ノート」
 三枝充悳著・法蔵館

施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm




一、はじめに
二、仏教の基本法理・四法印の理解
三、空論・空仮中の三諦について
四、世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦について
五、而二不二《ににふに》・再考察
六、無分別について・再考察
七、生と死を超えて
八、悩み苦しみを超えて
九、慈悲喜捨の実践について
十、諸法実相・真如について
十一、最後に

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

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「チベット仏教哲学」・「大乗仏教の根本思想」

さて、いよいよ明日に施本「仏教・空の理解」の発行出来が到着致します。もちろん、ホームページ・ブログの方では既に先行公開させて頂いております。また、内容についての執着も既に外し、次の論考に入っています。ただ、次の論考については、執筆して文字で表すことになるのは、現状下においてはおそらく相当先になるように思います。浅学非才の未熟者である私の限界でもあり、誠に情けないことでもあります。とにかく少しずつながらでも一歩一歩と考えております。

これから更に仏教の学びを進めるための文献

「チベット仏教哲学」と「大乗仏教の根本思想」が本日に届きました。。

「チベット仏教哲学」

「大乗仏教の根本思想」


「大乗起信論」
 宇井伯寿・高崎直道訳注・岩波文庫
「東洋哲学覚書意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学」
 井筒俊彦著・中公文庫BIBLIO
「縁起と空―如来蔵思想批判」
 松本史朗著・大蔵出版
「本覚思想批判」
 袴谷憲昭著・大蔵出版
「大乗仏教の根本思想」
 小川一乗著・法蔵館
「チベット仏教哲学」
 松本史朗著・大蔵出版
「無常法―仏教思想研究」
 矢島羊吉著・以文社
「龍樹・親鸞ノート」
 三枝充悳著・法蔵館

施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm




一、はじめに
二、仏教の基本法理・四法印の理解
三、空論・空仮中の三諦について
四、世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦について
五、而二不二《ににふに》・再考察
六、無分別について・再考察
七、生と死を超えて
八、悩み苦しみを超えて
九、慈悲喜捨の実践について
十、諸法実相・真如について
十一、最後に

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

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これから更に仏教の学びを進めるための文献

さて、既に施本「仏教・空の理解」についての内容の執着は外して次の論考に入っておりますが、これから更に学びを進める前提として、特に下記論著の読み込みをまずはしっかりと進めようと考えております。かなり難解な論著がずらりと並んでしまっていますが・・この浅学非才の未熟者では理解がどこまで及ぶものかどうか・・かなり時間が掛かることになりそうですが、とにかく少しずつでも取り組みを進めて参りたいと思います。

「大乗起信論」
 宇井伯寿・高崎直道訳注・岩波文庫
「東洋哲学覚書意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学」
 井筒俊彦著・中公文庫BIBLIO
「縁起と空―如来蔵思想批判」
 松本史朗著・大蔵出版
「本覚思想批判」
 袴谷憲昭著・大蔵出版
「大乗仏教の根本思想」
 小川一乗著・法蔵館
「チベット仏教哲学」
 松本史朗著・大蔵出版
「無常法―仏教思想研究」
 矢島羊吉著・以文社
「龍樹・親鸞ノート」
 三枝充悳著・法蔵館

「本覚思想批判」、本日に届きました。

袴谷憲昭著・大蔵出版

施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm




一、はじめに
二、仏教の基本法理・四法印の理解
三、空論・空仮中の三諦について
四、世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦について
五、而二不二《ににふに》・再考察
六、無分別について・再考察
七、生と死を超えて
八、悩み苦しみを超えて
九、慈悲喜捨の実践について
十、諸法実相・真如について
十一、最後に

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

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生死事大 無常迅速

さて、既に施本「仏教・空の理解」についての内容の執着は外しております。「生死事大 無常迅速 各宣醒覚 謹莫放逸」。仏法の真理探究へ向けて、浅学非才、未熟者の拙僧なりにでも更に精進努力・実践を行っていかなければなりません。とにかく一歩一歩でございます。

施本「仏教・空の理解」
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一、はじめに
二、仏教の基本法理・四法印の理解
三、空論・空仮中の三諦について
四、世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦について
五、而二不二《ににふに》・再考察
六、無分別について・再考察
七、生と死を超えて
八、悩み苦しみを超えて
九、慈悲喜捨の実践について
十、諸法実相・真如について
十一、最後に

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

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施本「仏教・空の理解」

さて、いよいよ施本「仏教・空の理解」の発行出来が近日に到着しますが、既にホームページ・ブログの方では全文公開させて頂いておりまして、読者の方からご感想を賜っております。誠に感謝申し上げます。ご感想・ご意見・ご叱正・ご批正をしっかりと受けとめて今後も精進努力をして参りたいと考えております。

施本「仏教・空の理解」
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一、はじめに
二、仏教の基本法理・四法印の理解
三、空論・空仮中の三諦について
四、世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦について
五、而二不二《ににふに》・再考察
六、無分別について・再考察
七、生と死を超えて
八、悩み苦しみを超えて
九、慈悲喜捨の実践について
十、諸法実相・真如について
十一、最後に

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

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「縁起と空―如来蔵思想批判」

さて、いよいよ「如来蔵思想」・「本覚思想」についての論考に入っておりますが、まずは、「大乗起信論」宇井伯寿・高崎直道訳注・岩波文庫と「東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学」井筒俊彦著・中公文庫BIBLIOについての再読を行いました。もちろん理解はまだまだであります・・重ねて読み込みを行う予定であります。そして、購入しました「縁起と空―如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版が本日に届きました。「如来蔵思想」・「本覚思想」について、正・否の両面からしっかりと考察して参りたいと思います。ここでもどちらにも偏らない、とらわれのない中道的取り組みがやはり大切であると考えております。



施本「仏教・空の理解」
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一、はじめに
二、仏教の基本法理・四法印の理解
三、空論・空仮中の三諦について
四、世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦について
五、而二不二《ににふに》・再考察
六、無分別について・再考察
七、生と死を超えて
八、悩み苦しみを超えて
九、慈悲喜捨の実践について
十、諸法実相・真如について
十一、最後に

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

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「大乗起信論」

さて、既に施本「仏教・空の理解」の内容についての執着は離しておりますが、改めて「大乗起信論」宇井伯寿・高崎直道訳注・岩波文庫を読み進めますと、以前よりか遙かに理解が及んできたような気がしております。施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」で唯識派の唯識論の考察を行い、そして施本「仏教・空の理解」で中観派の空論の考察を行ってきました。何とかその甲斐もあってであると、未熟者・浅学非才の身ながらも思います。とにかく一歩一歩であります。

施本「仏教・空の理解」
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一、はじめに
二、仏教の基本法理・四法印の理解
三、空論・空仮中の三諦について
四、世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦について
五、而二不二《ににふに》・再考察
六、無分別について・再考察
七、生と死を超えて
八、悩み苦しみを超えて
九、慈悲喜捨の実践について
十、諸法実相・真如について
十一、最後に

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

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「如来蔵思想」・「本覚思想」

さて、施本「仏教・空の理解」につきましては、前二作と同様に、もう既に内容についての執着は離しました。そして、現在、早くも次の論考に入りかけておりますのが、「如来蔵思想」・「本覚思想」についてであります。

そのためにもまずは、「大乗起信論」宇井伯寿・高崎直道訳注・岩波文庫と「東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学」井筒俊彦著・中公文庫BIBLIOの更なる読み込みと考察・理解、そして次に「縁起と空―如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版と「本覚思想批判」袴谷憲昭著・大蔵出版に取り組むことと致します。後半の二冊は、理解に相当な難解さを極めるような気がしておりますが、おそらく今後避けては通れないものであるとも認識致しております。

仏教の真理探究の旅は、とにかく一歩一歩でありますが、しっかりと着実に真摯に取り組みを進めて参りたいと考えております。

施本「仏教・空の理解」
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一、はじめに
二、仏教の基本法理・四法印の理解
三、空論・空仮中の三諦について
四、世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦について
五、而二不二《ににふに》・再考察
六、無分別について・再考察
七、生と死を超えて
八、悩み苦しみを超えて
九、慈悲喜捨の実践について
十、諸法実相・真如について
十一、最後に

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施本「仏教・空の理解」・第十章

施本「仏教・空の理解」
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十、諸法実相・真如について

 「諸法実相《しょほうじっそう》」とは、あるがままの真理をあるがままに、自他分別無く、差別無く、平等に観じ察する境地のことであります。

 「諸法実相」のことは、「円成実性《えんじょうじっしょう》」・「真如《しんにょ》」とも表しますし、または「無相」・「実際」・「法界」・「法性」・「仏性」・「法身」・「涅槃」・「無為」・「如来蔵」などの言葉も同義として表されることがあります。

 「円成実性」・「真如」につきましては、前回の施本における「唯識論」の三性《さんじょう》の説明の中でも扱わせて頂きました。

三性

遍計所執性《へんげしょしゅうしょう》・・存在におけるあまねく全ての表象について、虚妄分別したものの「我」に執着してしまうこと。または執着できるものだとして、勘違いしてしまっていること。

依他起性《えたきしょう》・・この世のすべての存在が、他の何かを縁(因縁生起)として、はじめて成立しているということ。存在の「空性」(縁起空)・「無自性」のこと。

円成実性《えんじょうじっしょう》・・依他起性をそのまま依他起性として正覚して(空性(縁起空)・無自性の正覚)、遍計所執性(虚妄分別)を離れること。

 「諸法無我」の法理によって、遍計所執性においては、「我・主体・主観」によって感受した、他のものに対しての認識・判断には、当然に固定した実体としての「我」は無いので、その存在は、「無自性」として(都無《とむ》・実無)、依他起性においては、存在について、ただ「空」(縁起空)として(仮有《けう》)、このことを理解した上で、では、この世の存在の真実(実有《じつう》)は何であるのかについて、「無自性」・「空」(縁起空)が、この世の存在の真実として、そのことを「円成実性《えんじょうじっしょう》」と表しています。円成実性は「真如《しんにょ》」とも言われます。」・・

 と、述べさせて頂きましたが、元々「唯識論」に先立って、「中論」は著されていることもあり、中観派の空論については、「唯識論」にも大きな影響を与えている背景が、私の浅学非才、未熟なる内容における「無自性」、「空」(縁起空)の記述からも少しは伺えるのではないかと思います。

 しかし、確かに「無自性」、「空」(縁起空)という言葉が出てきておりますが、その本当のところの理解については、非常にまだまだなところが多くあったため、その反省から、今回、中論を中心として、縁起、空の理解を改めて進めさせて頂きました次第であります。

 特には、「縁起空」における、「縁起」の「相互依存的相関関係、相依性」について考えることができました。

 さて、「諸法実相」でありますが、既に先にも述べさせて頂いておりますように、「非非有非非無」・「無分別の分別」を超えて、言語表現が不可能となった領域であり、戯論(形而上学的議論)が滅された勝義諦の扱いになります。

 このことは、中論・「観法品」(第十八・第五偈)『業と煩悩とが滅すれば、解脱が〔ある〕。業と煩悩とは、分析的思考(分別)から〔起こる〕。それら〔分析的思考〕は、戯論(想定された論議)から〔起こる〕。しかし、戯論は空性(空であること)において滅せられる。』、中論・「観法品」(第十八・第七偈)『心の作用領域(対象)が止滅するときには、言語の〔作用領域(対象)は〕止滅する。まさに、法性(真理)は、不生不滅であり、ニルヴァーナ(涅槃)のようである。』、中論・「観法品」(第十八・第九偈)『他に縁って〔知るの〕ではなく(みずからさとるのであり)、寂静であり、もろもろの戯論によって戯論されることがなく、分析的思考を離れ、多義(ものが異なっている)でないこと、これが、真実〔ということ〕の特質(相)である。』として記述されておりますように、もはや、戯論(形而上学的議論)が滅された言語表現不可能なるところのものであり、残念ながら、当然に私もこれ以上、もはや記述のしようがなくなり、解説が無理なこととなっております。

 さて、あとは、それぞれにおける四法印・四聖諦の真理の真なる理解、八正道、戒・定・慧の三学、八大人覚《はちだいにんがく》(少欲・知足・楽寂静・勤精進・不忘念・修禅定・修智慧・不戯論)、五根五力(信・精進・念・定・慧)、七覚支《しちかくし》(念・択法《ちゃくほう》・精進・喜・軽安・定・捨)、「六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)、更に方便・願・智・力の四つを加えての十波羅蜜」に加えて、今回の施本の内容における「空仮中の三諦」・「世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦」・「相互依存的相関関係、相依性の縁起」の確かなる学び、理解、実践によってこそ、表現できないところのことも含めて、真に正覚し、智慧を開発していかなければならないものであると考えております。共に精進努力して参りましょう。

 また、この浅学非才、未熟なる者のこの内容においてでも、少しでも読者の皆さんの仏教の学びが進み、迷い苦しみが無くなって、心が安らかに、清らかとなり、慈悲喜捨の実践を行うことに繋がって頂けたとすれば、誠に幸いなることでございます。

十一、最後に

 この度は、誠に未熟で浅学非才の身でありながら、僭越にも、仏法につきまして私なりの解釈・理解を更にまとめさせて頂きました。

 もちろん、まだまだ至らない点も多々あるものと思われますので、その点、ご容赦の程を賜りますればと存じます。少しなりとも皆様方にとって、仏法のご理解、学びを進められるお役に立つことができたと致しましたら、誠に幸いでございます。

 また、今後、この施本の内容・文章に関しまして、誤字脱字の訂正、追記補充、修正・変更、削除などが少なからずも出てくるものと考えております。更には、これからの自身における仏教の学びの進み具合におきまして、解釈上の修正・変更も考えられます。

 これらのことを考慮しまして、発行後、ホームページ上にて、全ての文章を公開させて頂いた上で、随時、修正・変更などをお示しさせて頂きますので、前二作と共に、今後、機会がございましたら、ご確認を頂きますように宜しくお願い申し上げます。

 往生院六萬寺ホームページ内(URL:http://oujyouin.com/)か、もしくは施本の題名と私の名前で検索して頂ければ、そのページをご覧になれるものと思います。

 この本の初版は、施本としまして著者・川口英俊の自費出版により発行させて頂きました。ご入用の方は、往生院六萬寺までご連絡下さい。数に余裕がありましたら、ご送付させて頂きます。

 また、増刷、次回刊行へ向けまして、施本にご賛同ご協力頂けます方のご支援を「施本布施」として、郵便局内にある「払込取扱票」をご利用下さいまして、ご送金賜りますれば、誠に幸いでございます。
 
往生院六萬寺
郵便振替番号 00910-3-330569
※必ず「施本布施」と通信欄にお書き下さい。

最後になりましたが、この施本の刊行に際しまして、ご協力を賜りました方々に、心から感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
 
 生きとし生けるものたちが、幸せでありますように。三界における全てのものたちが、苦しみから解脱し、安楽なる涅槃へと至れますように。

平成二十年四月八日

川口 英俊 合掌


 著者プロフィール

 川口 英俊(かわぐち えいしゅん)
 昭和五十一年 東大阪生まれ
 臨済宗妙心寺派・禅専門道場で修行
 岩瀧山往生院六萬寺 副住職
 URL:http://oujyouin.com/
 他、参照 URL:http://www.hide.vc/

〔本文、不許複製・禁無断転載〕

著作権は川口英俊に帰属しています。
Copyright (C) 2008 Hidetoshi Kawaguchi. All Rights Reserved.


一、はじめに
二、仏教の基本法理・四法印の理解
三、空論・空仮中の三諦について
四、世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦について
五、而二不二《ににふに》・再考察
六、無分別について・再考察
七、生と死を超えて
八、悩み苦しみを超えて
九、慈悲喜捨の実践について
十、諸法実相・真如について
十一、最後に

施本「佛の道」
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施本「仏教・空の理解」・第九章

施本「仏教・空の理解」
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九、慈悲喜捨の実践について

 とにかく、今回は、「空」と共に「相互依存的相関関係、相依性の縁起」についての論考が中心となっているわけでありますが、私たち人間は、本当に様々な恵みによって支えられているわけであります。

 普段はあまり気にも留めない「空気中の酸素」も、私たちは呼吸して、体にその酸素を取り込まないと生きていけなくなります。その酸素は、植物の光合成によって作られるわけですが、そのためには、もちろん、植物と、太陽光、水、二酸化炭素などが必要となり、水は主に、太陽の働きや地球の大気の働きによって海水が蒸発し、やがて雲となり、雨となって降って得られるものであり、二酸化炭素は、動植物の呼吸などによって生じています。または、火山活動・山火事などの自然活動からや、現在では残念ながら地球温暖化の主原因として、人間活動における化石燃料の消費からも大量に二酸化炭素が生じてしまっています。

 更に、植物の生長のためには、それぞれの植物に応じて、様々な養分も必要になるわけであります。その養分も、動物の排泄物・死骸をバクテリア・細菌が分解したものでありますし、また、植物が子孫を残すための受粉の媒介には、多くの動物(特に昆虫)が活躍して関わっています。

 このように、いわゆる食物連鎖・循環の生態系の中で、互いに関わり合って生存しているのであります。人間も様々な職業があってこそ社会の営みが成り立って、人が活動できているように、私たちは、この大いなる「相互依存的相関関係、相依性の縁起」の中で過ごしています。

 もしも、人間だけの世界、動物だけの世界、植物だけの世界(それぞれの自己肯定の進行)では、この食物連鎖の関係が崩れてしまい、やがて、その一方の自己肯定の進行が続いてしまえば、結局は相互否定・自己否定に陥ってしまうのであります。つまり、人間、動物、植物だけの世界は、自然界においては成り立たないのであります。

 しかし、人間は、現在、強欲にも自然を支配しよう、思い通りにしようと、そのエゴ(自我)、エゴイズム(利己主義)を出してしまい、資源をむさぼり、自然環境を破壊し、生態系を狂わせつつありますが、それは、結局、人間の生存そのものを危うくさせてしまっているのであります。

 化石燃料をむさぼり、このまま消費しながら燃やし続けていけば、大気汚染、公害、酸性雨などの問題、温室効果ガスによる地球温暖化の諸問題が生じ、生態系の狂いによって、動植物の種の絶滅、ある意味で人為的に産み出されている強毒性ウイルスの脅威など、まさに人災とも言える自己否定の進行は、一層顕著になってしまいます。

 人類・人間は、速やかにこの愚かな所業に気づき、反省して、「生かされて生きている」という「相互依存的相関関係、相依性の縁起」を自覚して、感謝、報恩、慈悲喜捨の実践を行うようにしていかなければ、このままでは自己否定の進行が更に進んでしまうことを止めることができないのであります。

 もちろん、ここで、環境問題について、あまり考えすぎて、とらわれてもいけません。極端な偏見に陥ってしまえば、それは無・断滅への執着に繋がり、悲観主義・虚無主義に陥ってしまうからであります。

 例えば、人類が早めに絶滅して、地球上から完全にいなくなってしまった方が、資源のむさぼりもなくなり、無惨にも殺されて絶滅していく動植物の苦しみもなくなり、究極の自然環境保護、生態系保護になるというような極端な偏見を持ってしまえば、一気に自己完全否定へと向かってしまう恐れが生じてしまうからであります。ここでも「非有非無の中道」は、しっかりと担保し、極端にとらわれない、執着しないようにしておかなければならないのであります。

 そのためにも、「無常」、「無我」、「相互依存的相関関係、相依性の縁起」をしっかりと理解した上で、人類存亡の危機を脱するためにも、「慈悲喜捨」を実践していかなければならないのであります。「慈悲喜捨」につきましては、施本「佛の道」においても扱わせて頂きました。

・・「慈《じ》・悲《ひ》・喜《き》・捨《しゃ》は、四無量心《しむりょうしん》とも言われるものであり、悪い感情を静めて心を清らかにし、また煩悩を無くしていくためにも、仏教においては大切な実践になります。

 慈は、慈しむ心のこと、または友情心のこと、悲は、憐(哀)れむ心のこと、喜は、一緒に喜ぶ心のこと、捨は、偏見や差別を捨てる心、または平等で落ち着いた平穏な心のことであります。

 慈悲と二語で表されることもあり、この場合、慈は、慈しむ心で楽を与えること、悲は、憐(哀)れむ心をもって苦を抜くことで、抜苦与楽《ばっくよらく》とも言われます。喜捨も二語で表されることがあり、我執、偏見、差別を捨てて、一切のものに対して平等の心を持ち、共に喜びを分かち合うことであります。

 四無量心は、あらゆる全てのものに対して変わらない平等の慈しみ、優しさを持つこと、一切皆苦の中で、あらゆるものが苦しんでいることを憐(哀)れみ、「我」を捨てて「無我」を自覚し、「我執」・「妄執」・「愛執」などの執着も捨てて、煩悩を滅し、苦しみから解脱した喜びを共に分かち合うために必要な心のあり方を示す重要なものであり、涅槃へと向かうために、このことを常に念じ、実践することが大切となります。」・・

 と、無分別、無差別《むしゃべつ》、不二の平等による慈悲喜捨の実践が求められるのであります。そうしない限り、私たちは、思惟分別・相対矛盾に悩み苦しみ続けながら、やがて、相互否定・自己否定への道を確実に歩んでしまうことになるのを覚悟しなければならないのであります。

 慈悲喜捨の実践を考える上で大切なことについて、「ブッダのことば・スッタニパータ 中村元訳 岩波文庫」、第一・蛇の章・八・慈しみ(一四三偈~一五二偈)から引用しておきたいと思います。

『究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和《にゅうわ》で、思い上ることのない者であらねばならぬ。』

『足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。』

『他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏《あんのん》であれ、安楽であれ。』

『いかなる生物生類《いきものしょうるい》であっても、怯《おび》えているものでも強剛《きょうごう》なものでも、悉《ことごと》く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大《そだい》なものでも、

目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。』

『何ぴとも他人を欺《あざむ》いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。』

『あたかも、母が己《おの》が独《ひと》り子を命を賭けても護《まも》るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。』

『また全世界に対して無量の慈しみの意《こころ》を起すべし。
上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。』

『立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥《ふ》しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。』

『諸々の邪《よこし》まな見解にとらわれず、戒《いましめ》を保ち、見るはたらきを具《そな》えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。』・・

 まさにこの慈しみの実践こそが、悩み苦しみを無くして、私たちを幸せにし、心を清浄に保つ法なのであります。

 目に見えないどんな細菌・ウイルスたちであろうが、ミミズであろうが、ゴキブリであろうが、普段は気にも留めない雑草たちであろうが、どんな形・大きさの生き物であろうとも、みんな「相互依存的相関関係、相依性の縁起」の中、精一杯、一生懸命に頑張って生きています。人間の勝手な都合、自己中心的・独善的な利己主義において殺してよいものなど、この世には何一つもないのであります。

 「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏《あんのん》であれ、安楽であれ。」として、何人といえども、いかなるものに対しても、生きていくためにやむなく犠牲にしてしまっているものたちに対しても、命を繋いでくれている恵みに深く感謝して、共生、共存、報恩の実践も忘れないようにしなければならないのであります。

 また、施本「佛の道」でも紹介させて頂きました「日本テーラワーダ仏教協会」さんの慈悲の瞑想の言葉もここに記しておきたいと思います。

慈悲の冥想

私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願い事が叶えられますように
私に悟りの光が現れますように

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願い事が叶えられますように
私の親しい人々に悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願い事が叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように

                              慈悲の冥想ここまで

 たとえ少しずつでも、毎日継続して、慈悲喜捨の念と実践が行えるように、しっかりと調えて参りましょう。
 
 七仏通誡偈《しちぶつつうかいげ》

 「諸悪莫作《しょあくまくさ》
 衆善奉行《しゅうぜんぶぎょう》
 自浄其意《じじょうごい》
 是諸仏教《ぜしょぶっきょう》」

 「すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、--これが諸の仏の教えである。」(「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳 岩波文庫)

 仏教の真なる理解・実践によって、私たちそれぞれの迷い・苦しみを無くし、更に人類の抱えてしまっている迷い・苦しみも無くして、心の平安・安穏を得て、確かなる平和・幸福が訪れることを強く希求申し上げる次第でございます。誠に精進努力して参りましょう。

・・第十章に続く。

〔本文、不許複製・禁無断転載〕

著作権は川口英俊に帰属しています。
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一、はじめに
二、仏教の基本法理・四法印の理解
三、空論・空仮中の三諦について
四、世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦について
五、而二不二《ににふに》・再考察
六、無分別について・再考察
七、生と死を超えて
八、悩み苦しみを超えて
九、慈悲喜捨の実践について
十、諸法実相・真如について
十一、最後に

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

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