川口英俊の晴耕雨読ブログ

龍樹菩薩の中観

施本第三弾の本格執筆に入る前に、中論について今一度しっかりと学びを始めることとしました。

中論―縁起・空・中の思想 (上・中・下) レグルス文庫


とにかく初期大乗仏教の体系を確立させた龍樹菩薩の中観の理解に取り組むことから進めます。ここにきてやっとかと思われるかも知れませんが、浅学非才・未熟者の身、付け焼き刃ぶりが目立った前作の反省であります。唯識論に触れる前にしっかりと取り組んでおくべきでありました。

とにかく一つ一つ一歩一歩であります。

施本「佛の道」
施本「仏教~一枚の紙から考える~」

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「絶対矛盾的自己同一」

故田中守道氏のサイト、「〈空観〉正しいものの観方」・「2-12『矛盾について』」における「観燃可燃品第十」の内容について26日に触れさせて頂きましたが、更にその中から引用の引用ですが、・・(『龍樹・親鸞ノート』三枝充悳著法蔵館刊より抜粋引用)・・

『いま火が燃えさかっている薪というありかたを見てみよう。私たちは、そこに火があり、薪がある、という。しかしながら、そのメラメラと燃えているどこからが火で、どこまでが薪であるか、それをはっきりと区分して、ここが火でここが薪だとすることは、なんびと荷も不可能である。両者は一体となって――両者の区分を全面的に拒否しつつ全く一体化していて、そしてそこに火があり薪があるといわれる。
 一体化して燃えあがる以前には、火はそこにはない。薪も単なる木片にすぎず、まだ薪(燃料)とはなっていない。燃えはじめたときに、すでに木片は単なる木片ではなくて薪と なり、火もまたそこに現前化する。そして上述のようなありかたにおいて、両者が或る点において結合して一体化してはじめて、火があり、薪がある、という。
 これは両者の一体性をあらわしており、且つ相互肯定的なありかたを示している。縁起のいわゆる相依性(相互依存関係)がここに表明されている。
 ところが現実に薪に燃えている火は、決して静止したままではいない。火はさらに燃え盛っていくか、または徐々に消えかかっていくか、どちらかいずれかである。この場合、火が燃え盛っていくとは、薪を減少させていくことである。火が消えかかっていくとは、薪を増大させていくことである。いかえれば、火を肯定していくことは、薪を否定していくことであり、逆に、火を否定していくことは、薪を肯定していくことになる。すなわち、火と薪との肯定・否定の関係は、前に述べた場合とは異なって、一方の肯定が他方の否定に通じて、相互に反対の関係にある。ここには、縁起は相互排除性を孕んでいて、さらに押し進めれば、矛盾的対立のありかたを示している。縁起のいわゆる逆の形の相依性が表明されている。
 さらに火がいっそう燃えていったならばどうなるか。薪はますます小さくなる。火を肯定し、薪を否定することが進行していって、ついに薪が燃え尽きたときに、火の存在する 場所がすでにない。こうして火もまた消滅する以外ない。いいかえれば、火はすでにそこに存在せず、否定されている。すなわち、肯定の一方的進行がそれ自身の自己否定というありかたで終止符を打つこになる。
 それとも逆に、火がだんだんと消えかかっていくならばどうか。薪は燃える場所を減らし薪の部分を増大する。火の否定の進行が薪の肯定の進行に繋がりながら、もしも火が消 えてしまって、火の否定が成就したとき、そこには薪もまた存在せず、一個の木片がころがっているにすぎない。すなわち、否定の進行が、当然そのものの否定の完成となり、同時にそれと矛盾的対立にあった――即ち肯定を進行させていたものも滅び去って、そこにはやはり自己否定があらわとなる。
 こうして、対立し合う二者の間の肯定・否定の進行は、もともと相反的であるはずであり、初めはその通り進んでいって、一方の肯定=他方の否定となり、一方の否定=他方の肯定となるけれども、もしも一方がそれを強制し、自己の肯定のみを(すなわち他方の否定のみを)強行するときには、その肯定が他方の存在そのものを消滅させて、肯定が成就したかに見える場合、いつか自己も消滅せざるを得ず、肯定どころか、否定をも突き破って、肯定ないし否定するその当体がすでにそこに存在しない。即ち相互対立に於ける両者は、対立を残していない限り、みずから自己を滅ぼしてしまう結果を招く』・・引用ここまで。

これこそがつまり、西田幾多郎氏の哲学大成「絶対矛盾的自己同一」、そのままのことではないかとふと気づきました。おおーという感じであります。

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「生死事大 無常迅速 各宣醒覚 謹莫放逸」

昨日に「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」における訂正に関連しまして、故田中守道氏のサイト、「〈空観〉正しいものの観方」をご紹介させて頂きました。

その中の「2-12『矛盾について』」において、「観燃可燃品第十」の内容に触れられいます。誠に中論を考える上で非常に重要な論考の一つであります。

有無の分別にとらわれると苦しむこととなる・・

燃えている薪を見て、私たちは炎・火と薪を分けて識別しますが、現実は、どこからが炎・火で、どこからが薪かはわかり得ないのであります。「有る」と囚われると執着して無常なる中、刻々と移ろい変わり滅していくことが苦しみとなり、かといって無いとしてしまうと、虚無主義・悲観主義となり、現実は無いとも言えないのに「断滅・無い」に囚われて苦しむこととなる・・そのどちらにも囚われない、執着しないのが、仏法の中道であります。

とにかく迷い苦しむことを無くしていかねばならないのであります。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

現在、施本第三弾の執筆に入るべきかどうかを思慮しております。前作の訂正のような間違いを犯してしまうところを見ると、やはりまだまだ早いのではないか、浅学非才、未熟者の付け焼き刃ぶりがまたも出てしまえば、読者の皆様にご迷惑が掛かるのではないかと危惧致しております・・

しかし、「生死事大 無常迅速 各宣醒覚 謹莫放逸」。迷っている時間など無常なる中では正直無いのであります・・仏法の真理探究へ向けて、とにかく未熟者の拙僧なりにでも更に精進努力・実践を行っていかなければなりません。

早速、第三弾の執筆に少しずつながらでも入ることと致しました。発行出来はおそらく夏頃になると予想しております。反省を生かしてしっかりと仕上げたいと考えております。

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「〈空観〉正しいものの観方」

さて、先日に「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」における訂正をお示しさせて頂きました。

つまりは「非有非無」の空、「非有非無」の中道についてしっかりと思慮考察していなかったために、そのような間違いを犯してしまったわけであります。

このような中、このことについて思慮考察するに当たって、非常にすばらしいサイトを見つけさせて頂きました。それが、

故田中守道氏のサイト、「〈空観〉正しいものの観方」でございます。

実は、このサイトの管理人・故田中守道氏とは数年前にニアミスとも言える接点があったのであります・・

故田中守道氏は、蓮の写心家として有名で、不二写心事務所を主宰されていて個展も多く開催されていました。

実は東大阪市ででも2004年に市民美術センター特別展で「蓮によせて―いろいろなハスのかたち」において、「百の蓮を観る」として蓮の映像放映・講演もされていたのであります。2005年にも再び「蓮の幻想Ⅱ」と題しての個展も開催されていました・・

2004年開催の時には、東大阪市東地区仏教会も後援したように思います。また、そのおりには、当山の住職も特別展の展示物に少し関わったと記憶しています。

もしも、私が既に故田中守道氏の仏教観について事前に少しでも触れていたとすれば、関心が芽生え、故田中守道氏の仏教観についてのお話をお聞きしたかった・・と時既に遅しを実感した次第であります・・

田中守道氏のご冥福を祈ると共に、田中氏が残した功績、目指した志について、少しなりとも理解を進めて実践できていければと考えております。

「〈空観〉正しいものの観方」は誠に空観を考察思慮する上ですばらしい内容でありますので、是非皆様方もお読みになられることをお薦めする次第でございます。

平成20年2月25日 川口 英俊 合掌

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プチコッコ逝去に際して

今朝にプチコッコが逝去致しました。

2002年11月27日に生まれた二羽のプチコッコが、縁により2003年2月に当山に参りまして、寺務所横の小屋にて過ごすこととなりました。2004年10月に一羽が逝去し、残った一羽がこの度逝去致しました・・

プチコッコのページ
http://oujyouin.com/puchicoco.htm

在りし日のプチコッコの画像がたくさんあるブログ
http://yaplog.jp/hidetoshi/

http://ameblo.jp/hidetoshi-k

私自身、様々な苦しい時にどれほどに心の支えとなったか分かりません・・また、お参りの方々にも大変に人気があり、みんなに可愛がって頂けました。ありがとうございました。

しかし、諸行無常なる中、この度のプチコッコだけが、特別だという思い、愛執ももちろんありません・・ただ、安らかなる涅槃へと至ってくれることを願い、供養致しました。

「プチコッコ、ありがとう、さようなら」。

一羽目と共に眠る


・・

身近なものたちの逝去、あらゆるものの生滅変化に際して、あらかじめに思慮しておくべきことについて。以下参照。

「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫
(大パリニッバーナ経・大般涅槃経)より・・

お釈迦様の最後の時を察し、号泣しているアーナンダに対して、お釈迦様はこのように言われました。

「やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、---すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか。アーナンダよ。そのようなことわりは存在しない。アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころの行為によって、向上し来れる人〈=ゴータマ〉に仕えてくれた。アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。」

お釈迦様、臨終の言葉

「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」
 これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。

尊師が亡くなられたときに、亡くなられるとともに、神々の主であるサッカ(=帝釈天)が次の詩を詠じた。---
「つくられたものは実に無常であり、生じては滅びるきまりのものである。生じては滅びる。これら(つくられたもの)のやすらいが安楽である。」

お釈迦様がお隠れになられた時、まだ愛執の離れていない修行僧たちは嘆き悲しみ苦しみに打ちひしがれましたが、既に愛執を離れた修行僧たちは、「およそつくられたものは無常である。どうして〈滅びないことが〉あり得ようか?」とよく耐え忍びました。尊者アヌルッダは修行僧らに告げた、---「止めなさい。友よ。悲しむな。嘆くな。尊師はかつてあらかじめ、お説きになったではないですか。---〈すべての愛しき好む者どもとも、生別し、死別し、死後には境界を異にする〉と。友らよ。どうしてこのことがあり得ようか?何でも、生じ、生成し、つくられ、壊滅してしまう性のものが、壊滅しないでいるように、というような、こういう道理はあり得ない。・・」

・・ここまで。

施本「佛の道」・第五章・涅槃寂静 より
http://www.hide.vc/hotokenomichi5.html

「諸行無常
 是生滅法
 生滅滅已
 寂滅為楽」

 私の解釈

「諸行は無常であり、これは生じては滅するという理《ことわり》である。この生滅の理の真実が正しくそのままを理解できずに悩み煩ってしまうことが、私たちの苦しみの原因であり、この苦しみの原因となってしまっている妄想の集まりである煩悩の生滅を滅しおわって、煩悩を完全に寂滅して、ようやくに苦しみから解脱した安楽なる涅槃・悟りの境地へと至ることができるのであります。」

・・ここまで。

「こんにちは、ありがとう、さようなら」であります。

平成20年2月24日 川口 英俊 合掌

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「非有非無」・「無分別智」

施本「佛の道」「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」


昨日に、「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」における訂正をお示しさせて頂きました・・

誠に「非有非無」、「有(ある)というわけでもなく、無いというわけでもない」という「無分別智」について、もう少ししっかりと触れておくべきであったと反省致しております・・

既に施本二冊についての執着ははずしておりますが、これからも仏法の学びを進めていく中で、随時その内容についての検証を繰り返して参ります。これまでは所謂、般若心経における「色即是空」までの理解、そしてこれから「空即是色」の考察へと入るかどうかというところであります。もしくは「空即是色」には安易に入らない方が良いのかもしれないということについても慎重に思慮致しております。

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訂正箇所

施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://www.hide.vc/buddhism1p.html

本文・訂正箇所

「四、唯識論について」 P27、12・15行目
http://oujyouin.com/buddhism5p.html

「無存在」→削除

でございます。

無存在と無自性を並列に書いてしまったのはかなりまずかったと反省致しております。無存在ということは虚無主義に陥ってしまう恐れもあり、今回削除することと致しました。

「非有非無」についてしっかりと触れておけば良かったと考えております。「無存在」の記述は明らかな誤りでありますので、ご了承の程、宜しくお願い申し上げます。

平成20年2月16日 川口 英俊 拝

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「空即是色」

施本「佛の道」「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」、寺務所前にて配布中。

既に二作とも内容についての執着ははずし、更なる仏法の真理の理解へ向けて少しずつ考察を進めております。この二作は、いわゆる般若心経における「色即是空」の理解まで、これから次の展開では「空即是色」の理解を行って参りたいと考えております。

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施本第二弾・発行出来

施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」、本日に発行出来が到着しました。






随時、前作と並べて寺務所前での配布、各種ご供養の際にもお配りさせて頂きますので、是非お読み下さいませ。ご意見、ご感想もお持ち致しております。

ホームページ・ブログ上では全文公開致しております。
http://www.hide.vc/buddhism1p.html

さて、既に内容につきましての執着ははずしておりまして、また更に仏法の真理探究へ向けた学びを一つ一つ進めて参りたいと考えております。

前作「佛の道」・全文
http://www.hide.vc/hotokenomichi.html

「仏教考察特別リンク集」を更に充実させました。
http://oujyouin.com/links1.html

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八、最後に

施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」




一、はじめに
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・上
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・中
二、一枚の紙から・仏教の基本法理の理解・下
三、一枚の紙から・①而二不二《ににふに》
四、唯識論について・上
四、唯識論について・中・1
四、唯識論について・中・2
四、唯識論について・下・1
四、唯識論について・下・2
五、一枚の紙から・②而二不二《ににふに》・上
五、一枚の紙から・②而二不二《ににふに》・下
六、一枚の半紙から・補足余談
七、悩み・苦しみを超えて
八、最後に

八、最後に

 この度は、前作「佛の道」に続きまして、誠に未熟で浅学非才の身でありながら、僭越にも、仏法につきまして私なりの解釈を更にまとめさせて頂きました。 

 もちろん、まだまだ至らない点も多々あるものと思われますので、その点、ご容赦の程賜りますればと存じます。少しなりとも皆様方にとって、仏法のご理解、学びを進められるお役に立つことができたと致しましたら、誠に幸いでございます。

 また、今後、この施本の内容・文章に関しまして、誤字脱字の訂正、追記補充、修正・変更、削除などが少なからずも出てくるものと考えております。更には、これからの自身における仏教の学びの進み具合におきまして、解釈上の修正・変更も考えられます。

 これらのことを考慮しまして、発行後、ホームページ上にて、全ての文章を公開させて頂いた上で、随時、修正・変更などをお示しさせて頂きますので、前作「佛の道」と共に、今後、機会がございましたら、ご確認を頂きますように宜しくお願い申し上げます。

 往生院六萬寺ホームページ内(URL www.oujyouin.com/)か、もしくは施本の題名と私の名前で検索して頂ければ、そのページをご覧になれるものと思います。

 この本の初版は、施本としまして著者・川口英俊の自費出版により発行させて頂きました。ご入用の方は、往生院六萬寺までご連絡下さい。数に余裕がありましたら、ご送付させて頂きます。

 また、増刷、次回刊行へ向けまして、施本にご賛同ご協力頂けます方のご支援を「施本布施」として、郵便局内にある「払込取扱票」をご利用下さいまして、ご送金賜りますれば、誠に幸いでございます。
 
往生院六萬寺
郵便振替番号 00910-3-330569
※必ず「施本布施」と通信欄にお書き下さい。

 最後になりましたが、この本の刊行に際しまして、ご協力を賜りました方々に、心から感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
 
 生きとし生けるものたちが、幸せでありますように。三界における全てのものたちが、苦しみから解脱し、安楽なる涅槃へと至れますように。

平成二十年一月二十一日
 
川口 英俊 合掌


著者プロフィール

 川口 英俊(かわぐち えいしゅん)
 昭和五十一年 東大阪生まれ
 臨済宗妙心寺派・禅専門道場で修行
 岩瀧山 往生院六萬寺 副住職
 URL www.oujyouin.com/
 他、参照 URL www.hide.vc/

〔本文、不許複製・禁無断転載〕

著作権は川口英俊に帰属しています。
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