川口英俊の晴耕雨読ブログ

感興のことば・第26章・15

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第26章・15

第26章 安らぎ(ニルヴァーナ) 

15 この世で妄執を断ち切って、静かならしめ、すべての塵汚れをおさめて、河の水を乾かしてしまったならば、苦しみが終滅すると説かれる。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

15 この世(において)で(妄想で生じる様々な執着)妄執を断ち切って、(心を平穏に)静かならしめ、すべての塵汚れを(心を清浄に)おさめて、河の水(煩悩)を乾かして(無くして)しまったならば、苦しみ(苦の輪廻)が終滅すると説かれる。

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感興のことば・第26章・9

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第26章・9

第26章 安らぎ(ニルヴァーナ) 

9 ひとびとは因縁があって善い領域(=天)におもむくのである。ひとびとは因縁があって悪い領域(=地獄など)におもむくのである。ひとびとは因縁があって完き安らぎ(ニルヴァーナ)に入るのである。このように、このことは因縁にもとづいているのである。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

9 ひとびとは因縁(因縁生起・縁起)があって(善行為によって)善い領域(=天)におもむくのである。ひとびとは因縁(因縁生起・縁起)があって(悪行為によって)悪い領域(=地獄など)におもむくのである。ひとびとは因縁(因縁生起)があって完き(完全なる)安らぎ(ニルヴァーナ)(涅槃の域)に入るのである。このように、このことは因縁(因縁生起・縁起)にもとづいているのである。

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感興のことば・第26章・3・4・5

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第26章・3・4・5

第26章 安らぎ(ニルヴァーナ) 

3 だれに対しても荒々しいことばを言うな。言われた人々はその人に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が(その人の)身に迫る。

4 こわれた鐘のように、汝がいつも自分を動揺させ(煩悩をおこす)ならば、汝は生れては死ぬ流転の迷いをながく受けるであろう。

5 しかし、こわれた鐘が音を出さないように、汝が自分を動揺させ(煩悩をおこす)ことが無いならば、汝はすでに安らぎ(ニルヴァーナ)に達している。汝はもはや怒り罵ることがない。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

3 だれに(どのようないかなる人に)対しても荒々しいことば(悪語)を言うな。言われた人々はその人に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。(怒りは怒りによって収まらずに)報復が(その人の)身に迫る。

4 こわれた鐘のように(音が安定しない壊れた鐘のように)、汝がいつも自分を動揺(不安定に)させ(心に煩悩をおこす)ならば、汝は生れては死ぬ流転(輪廻転生)の迷いをながく受けるであろう。

5 しかし、こわれた鐘が音を出さないように、汝が自分を動揺(心を乱して)させ(煩悩をおこす・その鐘を叩く煩悩を起こす)ことが無いならば、汝はすでに安らぎ(ニルヴァーナ)(涅槃)に達している。汝はもはや(いかなることにも)怒り罵ることがない。

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感興のことば・第26章・1・2

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第26章・1・2

第26章 安らぎ(ニルヴァーナ) 

1 亀が諸の肢体(首と四肢と尾と)を自分の甲のなかにひっこめるように、自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束縛の覆いを完くときほごして、なんぴとをも謗るな。

2 忍耐、堪忍は最上の苦行である。安らぎ(ニルヴァーナ)は最高のものであると、諸のブッダは説きたまう。他人を害する人は、他人を悩ますのだから、出家した〈道の人〉ではない。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

1 亀が諸の肢体(首と四肢と尾と)を自分の甲のなかにひっこめるように(しっかりと仏法の教えを守り)、自分の粗雑な思考(妄想・妄執・我執・愛執)をおさめとり、何ものにも依存することなく(無執着・無束縛・無所有)、他人を悩ますことなく(他人に迷惑をかけず害することなく)、束縛(諸々の執着・苦しみの素)の覆いを完く(全て)ときほごして(解脱して)、なんぴとをも謗るな(害し傷つけるな)。

2 忍耐、堪忍(戒律・規律に耐忍ぶ・堪忍ぶこと)は最上の苦行である。安らぎ(ニルヴァーナ)(涅槃)は最高のものであると、諸のブッダ(阿羅漢)は説きたまう。他人を害する人は、他人を悩ますのだから、出家した〈仏の道の人〉ではない。

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感興のことば・第25章・1・2

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第25章・1・2

第25章 友

1 明らかな智慧のある人が友達としてつき合ってはならないのは、信仰心なく、ものおしみして、二枚舌をつかい、他人の破滅を喜ぶ人々である。悪人たちと交わるのは悪いことである。

2 明らかな智慧のある人が友達としてつき合うべき人々は、信仰心があり、気持のよい、素行のよい、学識ゆたかな人々である。けだし立派な人々と交わるのは善いことである。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

1 明らかな智慧のある人が友達としてつき合ってはならないのは、(仏法に)信仰心なく、ものおしみして(貪って執着を離し難い)、二枚舌をつかい(悪語を使い)、他人の破滅を喜ぶ人々である。悪人たちと交わるのは(そのまま)悪いこと(悪行為)である。

2 明らかな智慧のある人が友達としてつき合うべき人々は、(仏法に)信仰心があり、気持のよい(心が落ち着いていて)、素行のよい(品行方正で)、学識ゆたかな人々(仏法の学びが進んでいる人々)である。けだし立派な人々と交わるのは(そのまま)善いこと(善行為)である。

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感興のことば・第24章・18-20

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第24章・18-20

第24章 広く説く

18-20 (愚かな者が)たとい毎月(苦行者の風習にならって)クシャ草の端につけて(極く僅かの)食物を摂るようなことをしても、ダルマ(法、真理)を信ずること、サンガ(教団、僧衆)を信ずること、戒しめを信ずること、慈しみの心、生きとし生けるものどもを憐れむ(の功徳)の十六分の一にも及ばない。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

18-20 (愚かな者が)たとい毎月(苦行者の風習にならって)クシャ草の端につけて(極く僅かの)食物を摂るようなことをしても、ダルマ(法、真理)を信ずること、サンガ(教団、僧衆)を信ずること(仏法僧の三宝に帰依すること)、戒しめ(戒律)を信ずること、慈しみの心、生きとし生けるものどもを憐れむ心()慈悲の心(の功徳)の十六分の一にも及ばない。

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感興のことば・第23章・22-26

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第23章・22-26

第23章 自己

22-26

この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?賢者は、自分の身をよくととのえて、悩みのうちにあって悩まない、いかなる束縛をも断ち切る、すべての悪い生存領域を捨て去る、すべての苦しみから脱れる、ニルヴァーナの近くにある。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

22-26

この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?賢者(真理に目覚めたる者)は、自分の身をよくととのえて、悩みのうちにあって悩まない(煩悩の中にあっても煩悩から離れている)、いかなる束縛(我執・愛執・妄執、あらゆる執着)をも断ち切る、すべての悪い生存領域(悪業)を捨て去る、すべての苦しみ(苦・迷いの輪廻)から脱れる、ニルヴァーナ(安楽なる涅槃)の近くにある。

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感興のことば・第22章・6・19

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第22章・6・19

第22章 学問

6 教えを聞いて、諸のことがらを識別する。教えを聞いて、悪を行なわない。教えを聞いて、ためにならぬことを避ける。教えを聞いて、束縛の覆いの解きほごされたところ(=不死の処)に至る。

19 聖者の説きたもうた真理を喜んでいる人々は、そのとき、かれらの説くことをことばでも実行する。かれらは忍耐と柔和と瞑想とのうちに安定し、学問と知能との真髄にも達したのである。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

6 (四法印・四聖諦の真理の)教えを聞いて、諸のことがら(存在・現象)を識別する。教えを聞いて、悪を行なわない。教えを聞いて、(余計な)ためにならぬ(苦しみをもたらす執着・束縛の)ことを避ける。教えを聞いて、束縛(執着・所有)の覆いの解きほごされたところ(=不死の処)(安楽なる涅槃の境地)に至る。

19 聖者(釈尊)の説きたもうた(四法印・四聖諦の)真理を喜んでいる人々は、そのとき、かれらの説くことをことばでも実行する。かれらは忍耐と柔和と瞑想とのうちに安定(禅定)し、学問と知能との真髄(智慧)にも達したのである。

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感興のことば第22章・3・4

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第22章・3・4

第22章 学問

3 よく密閉してあって暗闇にみたされた家に入ると、そこにある諸の見事な物を、眼のある人でも見ることができないようなものである。

4 この世では人間もまた、つねにそのようなものである。知識はもっているかもしれないが、教えを聞くことが無ければ善悪のことがらを識別することができない。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

3 よく密閉してあって暗闇にみたされた家(無明の闇)に入ると、そこにある諸の見事な物(真理)を、眼のある(目の見える)人でも見ることができないようなものである。

4 この世では人間もまた、つねに(無明の闇にいる)そのようなものである。知識はもっているかもしれないが、(四法印・四聖諦の)教えを聞くことが無ければ善悪のことがらを識別することができない。

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感興のことば・第22章・1・2

感興のことば・ウダーナヴァルガ・第22章・1・2

第22章 学問

1 聞いて学ぶことは善い。正しく行なうことも善い。また住むべき家の無いことも善い。正しいことわりにしたがって出家して遍歴することも善い。---以上のことは修行者の境地にふさわしいことである。

2 この世でことわりをはっきりと知らない愚かな者どもは、自分たちが不死であるかのごとくに振舞う。しかし正しい真理をはっきりと知っている人々にとっては、(この世の生存は)病める者にとっての夜のごとくである。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

1 (仏法を)聞いて学ぶことは善い。(八正道を)正しく行なうことも善い。また住むべき家(執着)の無いことも善い。正しいことわり(四法印・四聖諦)にしたがって出家して遍歴することも善い。---以上のことは修行者の境地にふさわしいことである。

2 この世でことわり(諸行無常・諸法無我)をはっきりと知らない愚かな者どもは、自分たちが不死(我がある、永遠不変である)であるかのごとくに振舞う。しかし正しい真理(四法印・四聖諦)をはっきりと知っている人々にとっては、(そのような人たちを)(この世の生存は)病める者(煩悩・苦しみを抱えている者)にとっての夜のごとく(恐怖・不安・不満)である(と見る)。

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