川口英俊の晴耕雨読ブログ

ダンマパダ・法句経・第25章・374

ダンマパダ・法句経・第25章・374

第25章 修行僧

374 個人存在を構成している諸要素の生起と消滅とを正しく理解するのに従って、その不死のことわりを知り得た人々にとっての喜びと悦楽なるものを、かれは体得する。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

この世における因縁生起(縁起)の中で、諸行無常という生じては滅するという理を真に正しく理解した者は、涅槃へと至る真理(四法印・諸行無常・諸法無我・涅槃寂静・一切皆苦)を悟り得た者たちと同様の喜びと安楽なるものをやがて体得することができるであろう。

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ダンマパダ・第25章・369・370・372

ダンマパダ・法句経・第25章・369・370・372

第25章 修行僧

369 修行僧よ。この舟から水を汲み出せ。汝が水を汲み出したならば、舟は軽やかにやすやすと進むであろう。貪りと怒りとを断ったならば、汝はニルヴァーナにおもむくであろう。

370 五つ(の束縛)を断て。五つ(の束縛)を捨てよ。さらに五つ(のはたらき)を修めよ。五つの執著を超えた修行僧は、<激流を渡った者>とよばれる。

372 明らかな知慧の無い人には精神の安定統一が無い。精神の安定統一していない人には明らかな知慧が無い。精神の安定統一と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

修行僧たちよ、この舟(身体・心)から水(執着・価値・所有)を汲み(離し)出せ。汝が水(執着・価値・所有)を汲み(離し)出したならば、舟(身体・心)は軽やかにやすやすと(安らぎへと)進むであろう。貪りと怒りとを断ったならば、汝はニルヴァーナ(涅槃)におもむくであろう。

五つ(の束縛・執着、心を欲界に結び付ける五つの煩悩、五下分結、欲貪・瞋恚・有身見・戒禁取・疑)を断て。五つ(の束縛・執着、心を色界・無色界に結び付ける五つの煩悩、五上分結、色貪・無色貪・掉挙・慢・無明)を捨てよ。さらに五つ(の働き、五根、信・精進・念・定・慧)を修めよ。五つの執著(貪り・怒り・迷妄・高慢・無知(誤った見解))を超えた修行僧は、激流を渡った者(預流者)とよばれる。

明らかな知慧の無い人(無明の中を彷徨い、真理を悟るに遠い者)には精神の安定統一(禅定)が無い。精神の安定統一(禅定)していない人には明らかな知慧が無い。精神の安定統一(禅定)と明らかな知慧とが備わっている人こそ、すでにニルヴァーナ(涅槃)の近くにいる。

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ダンマパダ・法句経・第25章・367・368

ダンマパダ・法句経・第25章・367・368

第25章 修行僧

367 名称とかたちについて「わがもの」という思いが全く存在しないで、何ものも無いからとて憂えることの無い人、---かれこそ<修行僧>とよばれる。

368 仏の教えを喜び、慈しみに住する修行僧は、動く形成作用の静まった、安楽な、静けさの境地に到達するであろう。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

この世における現象において、我々が名称と形態を与えているものも含めて、全てについて、「私のもの、私の所有」という思いが全く存在せず、また何ものも所有できないからと言って憂えることの無い者・・・かれこそ修行僧と呼ばれる。

仏教の学びを喜び、慈しみを実践する修行僧は、動く形成作用(無常に対しての憂い・苦しみ)の静まった、安楽な、静けさの境地(涅槃寂静)に到達するであろう。

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ダンマパダ・法句経・第24章・352・353

ダンマパダ・法句経・第24章・352・353

第24章 愛執

352 愛欲を離れ、執著なく、諸の語義に通じ諸の文章とその脈絡を知るならば、その人は最後の身体をたもつものであり、「大いなる知慧ある人」と呼ばれる。

353 われはすべてに打ち勝ち、すべてを知り、あらゆることがらに関して汚されていない。すべてを捨てて、愛欲は尽きたので、こころは解脱している。みずからさとったのであって、誰を(師と)呼ぼうか。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

愛欲(愛執)から離れ、執着も無く、真理から諸々の語彙に通じ、諸々の文章と語意を完全に知る者は、最後の身体(生存)を保つものであり、「大いなる知慧ある人」と呼ばれる。

私は全て(の煩悩)に打ち克ち、この世の真理の全てを知り、あらゆることがらに関して(清く)汚されていない。全て(執着)を捨てて、愛欲(愛執)は尽きたので、心は(苦しみから)解脱している。私は克己して自ら悟ったのであって、誰も師と呼ぶ者はいない。

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ダンマパダ・法句経・第24章・348・351

ダンマパダ・法句経・第24章・348・351

第24章 愛執

348 前を捨てよ。後を捨てよ。中間を棄てよ。生存の彼岸に達した人は、あらゆることがらについて心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。

351 さとりの究極に達し、恐れること無く、無欲で、わずらいの無い人は、生存の矢を断ち切った。これが最後の身体である。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

前(先・未来の執着)を捨て、後(後ろ・過去の執着)を捨てなさい。また中間(今・現在の執着)も棄てなさい。生存に対する執着を完全に滅して、彼岸に達した者の心は、既に憂いも無く、苦しみからも解脱していて、再び迷いの生存に戻ることも無く、輪廻転生の苦しみからも逃れることができる。悟りの究極(涅槃)に達して、恐れる(憂い)ことも無くなり、欲(渇愛・執着)も無くなり、わずらい(煩悩)の無い人は、生存(輪廻転生)の矢(素)を断ち切った。これが最後の身体(生存)であり、再び迷い・苦しみの中には戻ってこない。

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ダンマパダ・法句経・第24章・345・346

ダンマパダ・法句経・第24章・345・346

第24章 愛執

345・346 鉄や木材や麻紐でつくられた枷(かせ)を、思慮ある人々は堅固な縛(いましめ)とは呼ばない。宝石や耳環・腕輪をやたらに欲しがること、妻や子にひかれること、---それが堅固な縛である、と思慮ある人々は呼ぶ。それは低く垂れ、緩(ゆる)く見えるけれども、脱れ難い。
かれらはこれをさえも断ち切って、顧みること無く、欲楽をすてて、遍歴修行する。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

囚人に着けるような鉄や木材や麻紐でつくられた枷(かせ・手錠)を、思慮あり智慧ある人々は堅固な縛(いましめ・束縛)とは呼ばない。世俗における宝石や耳環・腕輪をやたらに欲しがること、妻や子にひかれること、それが堅固な縛(束縛)である、と思慮あり智慧ある人々は呼ぶ。それ(執着・束縛対象)は低く垂れ、緩く見えるけれども、脱れ難い。修行僧は、これ(執着・束縛対象)を完全に断ち切って、顧みること無く、欲楽をすてて、遍歴修行する。

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ダンマパダ・法句経・第24章・338

ダンマパダ・法句経・第24章・338

第24章 愛執

338 たとえ樹を切っても、もしも頑強な根を断たなければ、樹が再び成長するように、妄執(渇愛)の根源となる潜勢力をほろぼさないならば、この苦しみはくりかえし現われ出る。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

たとえ木を伐採しても、その頑強なる根っこを完全に取り除かなければ、再びその木が成長してしまうように、妄執(渇愛)の根源となる素因(執着)を完全に滅さない限りは、再び迷いのうちに戻って、輪廻転生の苦しみを受け続けることとなってしまう。

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ダンマパダ・法句経・第24章・334-336

ダンマパダ・法句経・第24章・334-336

第24章 愛執

334 恣(ほしいまま)のふるまいをする人には愛執が蔓草のようにはびこる。林のなかで猿が果実を探し求めるように、(この世からかの世へと)あちこちにさまよう。

335 この世において執著のもとであるこのうずく愛欲のなすがままである人は、もろもろの憂いが増大する。---雨が降ったあとにはビーラナ草がはびこるように。

336 この世において如何ともし難いこのうずく愛欲を断ったならば、憂いはその人から消え失せる。---水の滴(しずく)が蓮華から落ちるように。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

理性が無く、智慧も無い状態で感情・本能・遺伝子に支配されて欲の赴くままにふるまう者には、愛執が蔓草のようにはびこって、林の中で猿が果実を探し求めて彷徨い続けるように、この世から次の世へと輪廻転生の苦しみが続いていくこととなる。

この世における執着の大いなる素因となる愛欲を離せず無くせずにいる者には、諸々の憂い・苦しみが増大する。雨が降ったあとに、ビーラナ草がはびこるように。

この世において、この何とも離し無くすのが難しい愛欲を断ったならば、憂い・苦しみがその者から消え失せる。水の滴(しずく)が蓮華から落ちるように。

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ダンマパダ・法句経・第23章・327-329

ダンマパダ・法句経・第23章・327-329

第23章 象

327 つとめはげむのを楽しめ。おのれの心を護れ。自己を難処から救い出せ。---泥沼に落ち込んだ象のように。

328 もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。

329 しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。

岩波文庫「ブッダの真理のことば 感興のことば」中村元訳より

英俊・解釈コメント

涅槃をめざして仏道に努め励むことを楽しみなさい。心を自制し克己して、自己を煩悩という難処から救い出し、苦しみから解脱しなさい。泥沼に落ち込んだ象のように。

もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として志同じく共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩みなさい。しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として志同じく共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、独り歩みなさい。

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苦しみの素因

「シャボン玉はほしいと思いますか?」と聞いても、普通、誰も「そんなものはほしくは無い」と答える、というよりかは、「ほしいと思ってもすぐに持てなくなるものがシャボン玉じゃないか、そんなものは最初からいらないよ」と答える。

そう、シャボン玉は、あっという間に壊れる泡沫、すぐに形が無くなるもの、一瞬しか形が持たないもの、とみんなちゃんと理解している。であるから、もちろん壊れても形が消えても別に悲しくも苦しくも何とも思わない。

しかし、一方で、己の身体はどうであろうか・・みんないつまでもほしくてたまらない・・少しでも身体が変化して老いゆき、病となって壊れゆくと、死が近づくと、嘆き、悲しみ、苦しむ・・

所詮はシャボン玉も身体も、諸行無常なる中においては、泡沫で脆く崩れ消え去って滅してゆくものに変わりは無い、ではどうして一方では苦しみが生じないのに、一方では苦しみが生じてしまうのか・・

苦しみの原因がそこに隠れています・・それは、「執着」にあります。

諸行無常なる中、己の身体のみならず、あらゆる全てのモノ・現象がシャボン玉と同じだと理解でき、別に己の身体が崩れて壊れて死に近づいても、あらゆる全てのモノ・現象におけることも、当然に単なる生滅の変化だと悟れば、シャボン玉と同じように「ほしい」と思うことも無く、しがみつこうと「執着」することも無くなり、そうすると嘆き、悲しみ、苦しむことも無くなるというわけであります・・

・・平成19年度お盆施餓鬼法要後の法話の中で・・

私たちの苦しみの素因は執着から生じるわけであり、その執着を離す、無くすことで、苦しみから解脱できるようになるわけであります。

執着をもう少し分かりやすく私なりに述べると、価値・所有という誤った妄想を持ってしまうことでもあります。

価値についてもっと簡単に述べると、「特別」という考えとも言えます。私の特別の人・モノ・地位・名誉・財産・時代・・などなど。または主観的優劣・正誤・善悪も「価値」と言えます。

諸行無常、諸法無我なる真理に目覚めれば、当然に無執着、無価値、無所有に至るわけであります。しかし、無明に覆われてしまっている私たちが、そこへと至ることは相当に難しいものであるのも現実・・

無執着・無価値・無所有・・・

この三つをしっかりと理解すれば、心が安楽となり、貪・瞋・痴が無くなり、しかるべくに少欲知足となり、世の争い事、犯罪、戦争、資源の貪り、環境破壊なども無くなり、欲界も安楽になるわけであります。

この世においては、もともと何もしがみつけるものは無い、もともと何も価値は無い、もともと何も所有していない・・という諸行無常なる生滅の理を真に理解して、心の状態を禅定に保つ精進努力が大切となります。

更には、苦しみの生じる原因となる執着・価値・所有という妄想などの集まりである煩悩を完全に滅して、再び迷いの生存に戻ってこないように、輪廻転生の苦しみから解脱できるように涅槃へ向けて頑張らなければなりません。

今の己の身体が滅んでも、人類・生命が絶滅しても、地球・太陽が爆発して宇宙の塵となっても、この宇宙がやがて滅しても、繰り返す輪廻転生から完全に逃れない限りは、次の身体、人類・生命(欲界・六道、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)、地球・太陽、宇宙、色界・物質世界、に留まらずに無色界(欲界・色界を超越した精神的世界)にも輪廻転生し続けることとなり、その劫たるや何千兆年×千万にも亘る場合もあります・・滅しても生が起こるのは煩悩に素因があり、煩悩を完全に滅さない限りは、この生滅変化を繰り返す諸行無常なる一切皆苦からは全く逃れることはできないのであります。

川口 英俊 拝 平成19年8月22日

関連考察

「涅槃寂静」について
http://oujyouin.com/tayori1909.html
往生院だよりコラム 平成19年9月 彼岸号より

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