川口英俊の晴耕雨読ブログ

日本テーラワーダ仏教協会さん

施本・「佛の道」・全文
http://www.hide.vc/hotokenomichi.html

日本テーラワーダ仏教協会さんの機関誌「パーティパダー」の平成20年2月号におけます編集後記の最後のところにおきまして、誠に恐縮ながらも未熟者、浅学非才ながら発行させて頂きました施本「佛の道」をご紹介賜りました。誠に感謝申し上げます。なお一層に仏法の学びに精進努力して参りたいと考えております。

実は、今回の発行は誠に勇気のいるものでありました・・

当山で出させて頂いております「往生院だより」の平成18年11月において、日本テーラワーダ仏教協会さんをご紹介させていただいた折には、関係者の一部の方からでありますが、少しお叱り、批判を頂いたことがございます・・

往生院だより・平成18年11月・「初期仏教を学ぶ」
http://oujyouin.com/tayori1811.htm

ただ仏法の真なる学びのためには、宗旨宗派にこだわらずに学びを進めさせて頂きますことが大切であるとして、この度はその学びの道中の一里塚として施本をまとめさせて頂きました次第でございます・・もちろん、このことでのお叱り、批判も覚悟の上でありました・・

お読みになられました方には、もしかすると違和感を覚える方もいらっしゃるやもしれませんが、それは私の未熟さ、浅学非才さに原因があることであり、まだまだであると深く反省致しております・・

とにかくまだまだであります・・

日本テーラワーダ仏教協会さんホームページ
http://www.j-theravada.net/

これからも真なる仏法の理解へ向けて、様々に学びを進めさせて頂ければと考えております。鋭意精進努力して参ります。誠に宜しくお願い申し上げます。

生きとし生けるものたちが、幸せでありますように。三界における全てのものたちが苦しみから解脱し、安楽なる涅槃へと至れますように。

川口 英俊 拝

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次回施本

施本・「佛の道」・全文
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施本「佛の道」は、主に日本テーラワーダ仏教協会さん、つまり初期仏教について、改めて自分なりに学びを進めたまとめを浅学非才、未熟者ながら書き記させて頂いたものでありますが、現在、更に大乗仏教の基本となる唯識論を学ぶに至り、意外にもある程度すんなりと受け入れが進んでいます。これまで大乗仏教を学んできたつもりでありましたが、実は何も身になっていなかったのだと改めて痛感した次第でもあります。その点で、いったん白紙にして初期仏教から学んだことが功を奏しているように思います。もし、一から学びを進めようという気にならなかったら、おそらく難解な唯識論を前にして、取り組む前からもう既に諦めていたことでありましょう・・

とにかく下記テーマを織り込んで、大乗仏教・唯識論から次回施本をまとめたいと考えております。何とか二月中までにはと考えております。また随時、内容を公開して参りたいと考えております。

これからの考察テーマのまとめ途中経過、「輪廻と無我との整合性」・「輪廻・無我と唯識論との整合性」・「空論・縁起空の突き詰め」、「絶対矛盾的自己同一」・「即非の論理」、「而二不二」・「維摩経・不二法門」。

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唯識論

施本・「佛の道」・全文
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下記考察テーマに取り組む前に「唯識論」についての考察を始めることにしました。段階的にもまずは「唯識論」の概要をしっかりと理解してからと考えております。

これからの考察テーマのまとめ途中経過、「輪廻と無我との整合性」・「輪廻・無我と唯識論との整合性」・「空論・縁起空の突き詰め」、「絶対矛盾的自己同一」・「即非の論理」、「而二不二」・「維摩経・不二法門」。

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無分別の分別

施本・「佛の道」・全文
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「諸法無我」についての思慮を続けておりますが、「我」と「無我」を分けて思慮するわけですが、しかし、それを分けている自分という「我」があるのに気付くわけであります・・そして、またその「我」を「無我」へとしていこうとするのですが、実はまた「我」があるのに気付く・・実はキリが無くループなのであります・・いわゆる「無分別の分別」なのであります・・これでは・・はて?・・うむ・・

これからの考察テーマのまとめ途中経過、「輪廻と無我との整合性」・「輪廻・無我と唯識論との整合性」・「空論・縁起空の突き詰め」、「絶対矛盾的自己同一」・「即非の論理」、「而二不二」・「維摩経・不二法門」。

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諸法無我の補足

施本・「佛の道」・全文
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諸法無我の補足

さて、少し書道修練で思い出しますが、教室に通い始めた頃、普通にコンビニでも市販されている一枚一円ほどの半紙で練習していた時に、先生から、その紙では裏のザラザラの部分で書きなさいと指導を受けて、当初はかなりそのことに抵抗がありました。

なぜならこれまでは、半紙はツルツルの部分が表で、そこに書くことを当たり前と考えていたからであります。つまり、半紙に書くのは、ツルツルの部分が表でザラザラの部分は裏ということが当然で正しいと思い込んでいたからであります。しかし、先生は、その半紙では、確かにツルツルの表で書くことで、綺麗に見せることができるが、筆が滑りやすいことと、文字を見るだけでは正確な筆遣いの技量がなかなか推し量れないということで、練習、正確な指導のためにも裏のザラザラの部分で書きなさいという趣旨でそう言われたのであります。

しばらくして、練習・清書用共に、一枚五円ほどする半紙を常用することになりましたが、その時にようやく先の半紙でザラザラの裏で書いていたことの抵抗が無くなったのであります。その半紙の表はまさに先の半紙の裏と同じような感じでの書き具合となり、また、作品として条幅などに書く半切なども同様の書き具合だったからであります。先生の指導は理にかなったことだったのかと気づいたのであります。

さて、この話題で何が言いたいのかといいますと、「正しい」という思い込みであります。表と裏も単に思い込みで、こちらが表で正しい、こちらが裏で正しいとしてしまって固執していれば、上達が少し遅れたかもしれないということです。

このように、普段私たちが「正しい」としていることが、施本「佛の道」の中でも何度も出て参りましたフレーズ「主観・偏見・独り善がり・自己都合・自己満足などの恣意的要素」が大きく関係してしまっているということであります。

つまり、仏教的に説明しますと、「諸法無我」において、諸行無常なる中、固定した実体としての「我」はどこにも無いのに、我に囚われてしまって「我執」してしまえば、主観・偏見・独り善がり・自己都合・自己満足などの恣意的要素が顔を出して、表裏も勝手に世間の常識、自分の主観・偏見・都合でこちらが表で正しい、こちらが裏で正しいとして執着し、妄執して迷い苦しんでしまうということであります。本当はたった一枚の紙について、表も裏も私たちが勝手に恣意的に判断しているだけということでもあります。そういった妄想はしっかりと捨てなければならないということでもあります。

こういう何気ない日常のことでも、「諸法無我」の理解が一つできるのでもありますね。

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